FZR400RRSP

2009年11月 8日 (日)

再度信州中野

11月というのに天気予報では信州中野の予想最高気温は 19℃(実際には 16℃だったようだが)。以前スルーした中野小館と鴨ヶ嶽城を攻略するには今日しかない、と意気込み信州中野へ出発。

実は、11月早々にオイル交換をしてしまいたかったのだが、まだ 400km程距離が足りない。そもそも拘る必要もないのだが、これまでこのリズム( 3,000km毎のオイル交換)で通しているので、今更このリズムを崩したくない。
信州中野まで往復したら概ね 480kmと見積もっているので、若干足が出るがちょうどよい走行距離となる。

関越から信越道というコースをとるが、今日は何故か渋滞もなく非常に快適に走れた。
難なく中野市内に入り、中野小館の脇を通りまずは鴨ヶ嶽城へ。久しぶりの比高差約 250m(山腹の駐車場から)の山城であるが、かなり急峻な山なので普段以上に足が疲れたが。
その後、中野小館に立ち寄り、往路をそのまま引き返したのだが、途中で高所ドアと原爆タイプを立て続けに採集。もうないだろうと思った矢先にまた原爆タイプが現れたのでこれも採集。

この時点で 16時を過ぎており、さすがに寒くなってきた。佐久を過ぎた辺りで周囲は漆黒の闇に包まれ、苦手な夜間走行へ突入。夜って目測が狂うしライトがぼやけて花火みたいに映るしとろくな状態じゃないからできるだけ走りたくないのだが、朝が遅かったので仕方がない。

で、横川を過ぎたところでいきなり渋滞が始まる。原因は藤岡IC近くでの事故。やっとの思いで関越に入ったら花園IC手前でまたしても渋滞。これは自然渋滞だっが、次が嵐山小川IC手前で対向車線の事故の見物渋滞。人の迷惑考えずに事故を見物するためにスピードを緩めるバカがいるんだよな。しかも結構大勢のバカが。

最後の最後で気分のいいツーリングを台無しにしてくれたよ。

本日の走行距離 492.4km

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2009年10月31日 (土)

雁坂峠

あと 680km程でオイル交換のタイミングとなる。この 680kmという距離はただ単に走るだけなら問題はないのだが、ついでにあれを観ようここに寄ろうと考え出すと時間的にかなり厳しくなる。
であれば、今日と明日に 2回に分けて走ろうか、ということになり、今日はその初日として雁坂峠を目指す。

実は、雁坂峠は 10年ぶり。前回と同じく関越の花園ICで降りて秩父経由で、と考え関越に入るが、所沢ICを過ぎてから花園ICまで渋滞渋滞渋滞!

早く高速道路の割引をやめてくれ!

そもそも、この割引分は財政投融資特別会計の運用益積立金から捻出されているが、この部分は本来国債の償還に充当するものである。したがって、割引に使っちまった分は税金で補填するしかない。結局のところ、税金で割引をしていることと同じになる。高速道路を使わない、あるいは車も単車も持っていない人の税金を使って、自動車産業を何が何でも維持しようという時代遅れの発想は政策でも何でもなく、狂気にすぎない。
そんなエセ政策に乗っかって、何も考えず割引をヘラヘラ享受している愚か者が多いのも事実。

まぁ、花園ICを降りてからは全て順調だったので、これ以上愚痴は言わないことにするが。

暖かな日差しのなか、雁坂峠を降り、塩山から勝沼に抜け笹子峠の旧道を経て大月ICから中央道に入ったが、時間が若干早かったせいかお約束の渋滞もなく、帰路はかなり気分よく走れた。

本日の走行距離 285.4km

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2009年10月17日 (土)

八ツ場ダム雑感

何故か最近話題(?)の八ツ場ダム建設予定地に行きたくなった。

基本的に、社会経済的に必要なインフラは積極的に整備すべきである、とのスタンスであるが、何十年前(八ツ場ダムの場合は最初の計画発表が 1952年であり、現在の地点にダム建設を決定したのが 1967年)の計画を十分な見直しもせずに[計画にあるから][着工したから]などと言って建設工事を進めるのは単なる屁理屈にすぎない。
本当に将来にわたり水が不足しているのか?
建設ありきで恣意的なデータだけで将来予測をしていないか?

さて、直接八ツ場ダム建設予定地に赴いても中途半端なので、信州中野から志賀高原を経由して、いわば帰り道に八ツ場ダム建設予定地に寄るという変則的な行程にした。
その甲斐あってか、中野市内で高所ドア原爆タイプを採集できたが、志賀高原を経て渋峠を越えてから濃霧に遭遇。視界が 20mに満たない個所もあり、おっかなびっくり走ってしまったな。しかも気温が 10℃まで下がり比較的厚着だったがそれでも寒かった。

しかる後、八ツ場ダム建設予定地に着いたものの、雨が降ってきてしまい十分見て回ることができなかったが、以前の記憶が急に蘇ってくる。
このダムに引っかかっていたのはこの記憶かもしれない。

この地域は武田信玄が西上野攻略を進めた際の兵站線であり、対する西上野の長野氏も信州小県につながる地域として重要視していたらしく、いくつかの城郭を配下に置いている。
武田信玄の西上野攻略後は真田氏の領地となり、真田氏は岩櫃城を整備して領地経営を進めるのであるが、岩櫃城をはじめとするいくつかの城郭はダム下流に位置しているし、さすがに山城は水没することはない。
八ツ場ダムによりかなりの面積が水没することになるが、地域の水没(損失)は今後の地方史の研究を進めるうえで重大な損失になりかねない。たとえ城郭が点として残されたとしても、史跡は面としてとらえないと何故この位置に城郭を築いたのか等が不明のままになってしまう場合がある。
実際、栃木県西方町にある西方城と赤壁城は間に真名子カントリー倶楽部ができたおかげで地形が変わってしまい、両城の関係が十分解明されないままになってしまっているという例もある。

八ツ場ダムの場合も同じような結果になることも予想され、この地域を研究している研究者の意見も聞いてみたいものだ。

また、情緒的だが

 真田氏が行き来した歴史街道が水没する

と言えばなかなかインパクトがあるかもしれない。

本日の走行距離 480.9km

渋峠まではよかったが峠を越えるとこの有様
R292 R292_2

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2009年9月27日 (日)

笠間城まで行ってきた

思えば笠間は 17年前に陶器を買い出しに行って以来全く訪れていない。
そもそも茨城方面はそんなに遠距離ではなく、むしろ長野方面より距離的には近いのだが、ツーリングは栃木から長野という北~西方面に集中しており、たまに神奈川・静岡にかけての南方面となる(静岡は神奈川の延長として)。したがって千葉・茨城(旧下総地域を除く)という東方面はこの数年全く赴いていない。つまり、日常的な行動範囲は天正10(1582)年以降の北條氏と徳川氏の版図とほぼ一致することになるが。

笠間城には大石内蔵助の銅像がある。これは浅野家が下野国真岡藩(1601~1611年)、常陸国真壁藩(1611~1622年)、常陸国笠間藩(1622~1645年)、播磨国赤穂藩(1645~1701年)と所領替を繰り返し、一時期笠間藩主だったことに起因するが、大石内蔵助は万治2(1659)年生まれであることから笠間とは直接関係がなく、こじつけに近い印象がする。
そういえば、真壁城の縄張りと赤穂城の縄張りは基本的なところでかなり類似している。浅野家にとっては、藩祖浅野長政の菩提寺がある真壁こそが原風景だったのかもしれない。

さて、まだ時間がある。益子経由で宇都宮に出て、餃子を食してから帰りませう。

本日の走行距離 345.7km

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2009年9月24日 (木)

特に目的もなく適当に

9月に入ってから休日が仕事で 4日潰れている。もっとも、さすがに休日返上フル稼働は精神的にも良くないので既に代休扱いにして平日に 2日休んでいるが。
それでも計算上は後 2日残っているわけで、今日はその 1日を使って目的もなく適当に、FZRを購入した当初は普通であった気の向くままのツーリングをしよう。

大雑把に

 東京~岩井~結城~足利~太田~東京

を考えていたが、結城に着いた時点で気が変わって

 結城~笠間~水戸~東京

にしたものの、R50が大型車が多く快走することができないので、途中で脇道(茨城県道・栃木県道45号つくば真岡線:走っている時には分からなかった)に入り込み

 結城~??

となる。

この県道は快走することができたので、気分がいいから適当に北を目指す。
途中、桜町陣屋に遭遇したが、陣屋ね。中世城郭専門をもっぱらとする身にとっては陣屋は対象外かな。でも近世城郭にも結構行っているし、五稜郭もスコアとしてカウントしているしな、などとくだらない逡巡をしながら、何故か今日は人が多いからまたの機会にしようと簡単に見学しただけで終了。

真岡駅に行く途中でブツを採集し、後は

 真岡~結城~佐野~東京

かと考えながら走っていたら佐野の界隈でまた気が変わり最終的は

 東京~岩井~結城~真岡~小山~足利~熊谷~東京

で帰宅。

天気も良かったし楽しい 1日だったな。

本日の走行距離 306.8km

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2009年8月29日 (土)

トマソンツアー:みなかみ雪辱編

単車は退院した。不調の直接原因はかぶりなのだが、何故かぶったかがどう考えても分からず、ひょっとしたらチョークが完全に戻りきっていない(どこかでつっかかっている)のが原因ではなかろうかと考えたものの、チョーク周りに問題はなく結局原因が分からない。

みなかみ編は途中で引き返してしまったことと、同じ環境でトラブルが再現するか確認したいこともあって、再度沼田ICから県道64号線に入り問題の峠に向かったところ、やはり途中で調子がおかしくなった。
ここで下手に回転数を下げたらまたかぶるかもしれないと確認(?)できたので、今回は慎重に走り事なきを得た。しかし、この峠は以前はかなりのところまでトップで登れたはずなのに今日はどうして 5速なのかと納得できないが。

これなら坤六峠もなんとかなるだろうと挑んでみると、まぁなんとかなったけど結構きつかったな。こりゃキャブレタを点検したほうがいいか・・・・・

で、今回の目的の一つであるブツは結局見間違いだったらしく見つけることができなかった。代わりにブツを見かけた界隈の小学校で新たなブツを見つけ、沼田駅の界隈でもブツを見つけたので結果良しとしよう。

まだ時間かるので赤城山に向かいここでも単車の調子を確認したが、やはり本調子じゃない。暫く様子を見よう。

本日の走行距離 432.1km

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2009年8月23日 (日)

トマソンツアー:由比・蒲原編

由比から蒲原の間は 2年前に立ち寄った際にブツを多数発見したが、撮った写真の約半分がピンボケで使い物にならなかったのでいつか再度採集しようと企んでいた。
今は NIKON COOLPIX P6000 を使っている。しかし、この時はまだ ORINPAS μ810 だったために、多少ゴチャゴチャした被写体や簿微なアングルだとどこにもピントが合わなくなるというデリケートというか使いもんにならんというか、おかげでどれだけ採集に失敗したことか。

単に東京と由比を往復してもつまらないので、山梨から国道52号線で南下することにする。途中、山梨県内でヒサシ高所ドアを採集しつつ静岡県に入り由比へ。

まずは、2年前にしくじった無用窓を採集。次に 2年前に撮り損ねた原爆タイプを採集。この後、立て続けに新規のブツ(原爆タイプ原爆タイプ原爆タイプ)を 3個採集し、最後に東海道蒲原宿でこれまた 2年前にしくじった原爆タイプを採集。

用は済んだので東名高速に乗るも 25kmの渋滞。
これもね、むしろ輸送に関しては割引し、単なる観光目的の利用は割増しにすべきだ。割引がなければ高速を使えないような輩は車を使うべきではない。しかも、こいつらがエコエコと言っているのであれば発狂しているとしか言いようがない。もっと自分の行動と環境への影響を真剣に考えるべきだ。
ちなみに、揮発油税が倍になろうが高速料金が倍になろうが俺は走るけどね。

単車の不調は消去法でおそらくチョーク関連が原因かと考えるに至った。行きつけのバイク屋に症状を告げチョーク周りを調べてもらうために単車は当分入院決定。

本日の走行距離 367.2km

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2009年8月22日 (土)

トマソンツアー:みなかみ編

坤六峠から洞元湖・藤原湖の間は様々な滝が連続しているが、特に新緑の時期は梢から漏れる陽光と新緑の緑が水面に映えて絶妙な世界を創りだしている。
以前、滝巡りと称してこのルートを徘徊した際に、藤原湖から水上駅に至る途中にブツらしきものがあったことを思い出し、今日はそのブツを採集しようと出かけたのであるが・・・・・

実は、当初の計画では今日は岐阜に向かっているはずだった。しかし、昨晩の天気予報で美濃地方の天気が雨となっていたので、しかたなく宿をキャンセルして寝てしまったのだが、今朝起きて天気予報を見ると美濃地方も含め広域で晴れるとのこと。またしても天気予報にやられた。ふてくされていてもろくな事ないので、以前見かけたブツを探しに行くことにした次第。

関越道は自然渋滞と事故渋滞(というか見物渋滞!)で閉口したが、沼田ICを降りてから立て続けにブツを 3個(ヒサシ高所ドア高所ドア)採集できたので幸先よいと思いきや、峠に向かい勾配がきつくなるにつれエンジンが次第に不調になり、しまいには点火しなくなった。

原因不明。今までこんな現象はない。退却するしかないではないか。
まぁ、想定外のブツを採集できたのでよしとするか。

本日の走行距離 324.4km

追記:高速道路に関する割引や無料化の政策・マニフェスト、あるいは[エコカー]購入に対する助成制度は、つまるところ旧態依然とした自動車産業に対してモルヒネを投与するようなもの。根本的な治療をせずに痛みだけを和らげるようなことを繰り返していたら死に至るのは明らかで、こんな馬鹿げた政策に踊らされているようではこの国の未来はない。まだ体力が多少でも残されている今のうちに、20世紀型の大量消費を前提とする経済から脱却しなければならない。
そもそも、高速料金を割引・無料化すれば渋滞がそこらじゅうで発生して CO2の排出量が増加するわけだし、割引・無料化の財源を福祉や雇用に回せば売国奴が破壊したこの国のセーフティネットを再構築することも可能だろうに。

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2009年7月20日 (月)

トマソンツアー:伊那編

去年の 8月から今年の 5月までの間、仕事で伊那地方を何度か訪れたのだが、やはり人が生活を営んでいる以上、ここにもトマソンが公然かつひっそりと生息している。伊那市内だけでも 6件発見していたのだが、見つける時に限ってカメラを持っていなかったこともあり、全く収集できないでいた。
ここ数日体調を崩していたが、昨日ようやくほぼ元に戻ったので、3連休に何もしないのは精神衛生上好ましくないとばかりに今日は伊那まで出かけて発見したトマソンを全部採集しよう。

ホントなら伊那ICで下りれば最短なのであるが、天気も良いし多少遠くまで走ったところで高速料金 1,000円だしと結局松川ICまで足を延ばした結果、1時間遅れで伊那に到着。

まずは、何回か宿泊したJR伊那北駅の真前にあるホテルの界隈に生息する高所ドア原爆タイプを採集。次はここから[ローメン発祥の地]に行く途中の飲屋街に生息する原爆タイプを採集。続いて JR伊那市駅の近くにあるホテルに宿泊した夜に発見した原爆タイプと翌朝 JR伊那市駅のホームで電車を待っていた時に遠目に見つけた原爆タイプを採集。ここで、ふと振り返ってみると未発見の原爆タイプが構えている。これも採集。お次は伊那市内から電車で北上する際に車窓越しに見つけた高所ドア、がなかなか見つからない。目星をつけた個所を何回か行ったり来たりしたのだが埒が明かないので、最後の手段としておおよそここだろうと思われる地点で線路に入り込んだらすぐ近くにあったので採集して今日の作業は終了。ローカル線は本数が少なく線路に柵もないからこういう時には助かる。

結局、新規発見の原爆タイプを加え 7件採集。
帰りは小仏峠トンネルを起点に 30kmの渋滞・・・・・
疲れた。

本日の走行距離 519.1km

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2009年6月27日 (土)

純正ツーリング

最近はツーリングと言いつつも単車が交通手段になっていることが多い。
地方の山城はJRや私鉄の駅からバスでなんぼ、しかも停留所から歩いてなんぼの場所にあることが多く、おまけに鉄道・バスが 1時間に 1~ 2本ともはや公共交通の体をなしていない。したがって単車を使った方が至極便利なのだが。

今日は図書館に籠ろうかどうか迷ったが、天気も良いし図書館は明日行けばいいやと久しぶりに走ることのみを目的に金精峠を目指したのだが・・・・・
出だしから妙なノッキングがする。関越道に入ってからの加速が重い。最近いろいろなところがガタガタになりつつあるので点検した方がいいかもしれん。
実は、SPにも関わらず林道走ったり結構無茶している割には燃費は良い方だと思う。ただ、2009年 3月末時点での平均値は21.4km/lなのだが、最近下手すれば19.4km/lまで落ち込んでいる。最近高速を多用しているせいだろうか(経験上高速で一般車と同じスピードで流している時が一番燃費が悪い)。

それでも天気は良く、まさにアウステルリッツの太陽の如く今日のツーリングを祝福してくれているようだ(大袈裟)。

実際、幾度も走っている道でも走る目的が違えば景色も違って見えるもので、図書館などに行かずに走り出したことはやはり正解だった。

結局、沼田から脇道の県道64号線に入り(国道120号線の椎坂峠や吹割の滝界隈の渋滞が避けられるし道自体が快適)金精峠から日光、宇都宮を経てただただ走っただけの楽しい 1日だった。

本日の走行距離 405.5km

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2009年6月13日 (土)

小笠神社

国土交通省河川局が作成した菊川水系の河川整備基本方針に関する資料に[菊川水系流域及び河川の概要]があるが、その[第2章 流域及び河川の自然環境][2-3 特徴的な河川景観や文化財等][(3) 菊川流域にまつわる伝統・行事]として小笠神社矢矧祭が紹介されている。小笠神社矢矧祭の説明として

約700年高師直の輩下、県一族(掛川市)が、小笠神社に集まり、再起を確かめ合う密議を行いその警戒の為、弓矢を一統の 6人が当たって作っていたのが始まりで、時代は移り再起の望みも断れ、密議は同族の慰霊祭となった。さらに年月が経ち、小笠神社の祭典と結びつき一般の住民が参加するようになり、現在でも子孫の内の 8人が矢作りを行っている。

とある。

輩下であったかどうかは別にして、南北朝期には縣氏は高氏と深い繋がりがあったことは間違いないと思われる(実際にはアメリカ(高氏)と日本(縣氏)的な同盟関係だったのではないかと考えているが、これはおいおい証明したいな、と)。下野国縣郷の縣氏も高氏と密接な関係にあったようだし。

んぢゃちと行くか、と軽く出かけたものの・・・・
宮司さんは常駐していないんですね。そこら中鍵がかかっていて誰一人いない・・・

系譜を抜きにして、縣氏は永禄年間(1558~1570)に足利に存在したことは確認できるので、下野国の縣氏と小笠神社の伝える縣氏がどのような関係にあるのか興味が尽きない。

まぁ、今日は無駄骨だったが、このあたりはきちんと整理しよう。

本日の走行距離 480.6km

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2009年6月 7日 (日)

老後の楽しみだったはずだが・・・

5月上旬の中国地方ツーリングの後、狙ったかのように土日に天気が崩れ出るに出られなかったのだが、今日は久々に気分の良い天気。気温がちと高いが。

前回足利に行った時には上県城の位置が分らず悶々としたままで引き返したのだが、今回は既に地図上に場所を落としてある。なんてことはない、前回入り込んだ袋小路の畑が上県城だった。土塁が一部残っているとのことなのだが、土塁があるであろう界隈が見事なブッシュで何も見えない。土塁は確実にここにあるはずなのだが、これじゃ写真撮っても何が何だか分からないだけになる。
諦めた。

次は下野國一社八幡宮へ。
ここは元々浄徳寺の脇に祠があったものをいつの時代だかに縣郷から縣氏の一部が出ていった際に一緒に遷したと聞いたことがある。実際、この界隈には縣姓が数軒あるそうだ。
が、実存したかどうかは別にして、文献上縣姓(実際には[懸]であるが)の武士が登場するのは後三年の役における金沢柵陥落時(寛治元(1087)年)の記述が調べた限りでは初見である。八幡宮は天喜4(1056)年に源頼義・義家父子が前九年の役に際して戦勝を祈願し男山八幡宮を勧請して創建したとのことであるので、これでは辻褄が合わない。
まぁ、物語なのだからこんなもんだろう。

まだ時間があるな、折角ここまで来たのだから市内に行って足利氏館界隈でも散策してから帰ろう。

ところで、何故にまた足利かというと・・・

[老後の楽しみ]だったはずの先祖探しを始めた。
実は、以前書いた文書中にある[寺の過去帳]なるものが実際には存在しないし、この寺(浄徳寺)に残されていた古文書は専門家曰く江戸時代の偽文書らしい。また、縣氏に関しては別系統の伝承(祖先の物語であり歴史ではない)もあるが、これには吾妻鏡に記されている縣左近将監や縣佐藤四郎をはじめ、関東幕注文に記されている縣左衛門、縣七郎、縣新次郎に関する記述がない。
こうした偽文書や伝承を根拠にして足利の在地武士である縣氏の後裔云々とは実にナンセンスだが、地元では歴史家の記述により[物語]が[歴史]になってしまっている。
また、実家には縣氏との関係を伝える系図のコピーがある。この系図、多少の間違いはあるるものの、記述されている内容の大部分は他の史料で確認することができたので大筋信頼できるのであるが、江戸時代初期に縣姓から小宮姓に唐突に苗字が変わっている理由が明確でない。
普通ならこのような評価を抜きにして[私の先祖は秀郷流藤原氏の由緒正しい武士である]となるのだろうが、多少歴史をかじり史料による検証が必要であることを承知している自分としては納得がいかないので自分なりに調べてみることにした。
今後別のカテゴリーで細々と調べた結果をまとめていこうと考えているが、いろいろと確認したいことあるので、久々に足利に出かけたのでした。

本日の走行距離 254.2km

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2009年5月10日 (日)

久々のツーリング その6

今日はツーリングの最終日で、東京への帰路となる。
奈良市内に宿をとったので、多聞山城経由で帰ることにする。

ところで、多聞山城は若草中学校の敷地となっており、石碑が階段の傍らにポツンと立っているのみ。
事前に中学校の事務に連絡しておけば敷地内を隈なく見ることもできたろうに、今日は日曜日なのでそれもできず、不審者扱いされるのも嫌なので石碑を見物するだけで我慢することにした。
一応周囲を単車で一周してみたが、木々に覆われた斜面が遺構と言えば遺構だ。

京都と奈良という、この国の文化財の宝庫とも言えるところで、意外と破壊が目につくことにすごい違和感がある。
奈良市内では、記憶にあるだけでも R24バイパス建設(国の事業!)の際にウワナベ古墳の外周部が破壊されているし、奈良そごう(現イトーヨーカドー奈良店)は長屋王邸跡(約3万5000点の木簡が出土し、この数は当時出土していた木簡の総数の約1/3に相当する)におっ建てたし。

木端役人が議員と企業に癒着するとろくなことにならない。文化財という、失われたら再現することが不可能なものを目先の利益に目がくらみ破壊してしまうことは犯罪的である。特に長屋王邸跡の破壊は、後世にどのような言い訳ができるのだろう。

などと考えつつ、転害門の交差点から京都方面に向かうとすぐにブツが見つかり、採集しようとして Uターンするともう 1つブツを発見し、これも採取。
その後、宇治経由で大津に出たのだが、宇治駅の前でブツを採集した。

瀬田東から高速に乗り、ひたすら走って東京へ。

これから 6日間の余韻に浸りながらワインを飲むぞ。

本日の走行距離 561.8km
6日間の全走行距離 2316.6km

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2009年5月 9日 (土)

久々のツーリング その5

福知山は朝靄に包まれていた。昨晩は宿の窓からライトアップされた福知山城天守閣が見えていたが、靄で全く見えない。
そんな状況下で福知山城へ。
行きがけに昨晩見つけたブツを採集。

実は、福知山城と亀山城(丹波)は以前に訪れているのだが、何故か写真を撮っていない。今回は行程が福知山経由となったことからちょっと寄って写真だけ撮っておこう。

福知山城はお決まりの角度から天守閣(復元)をパチリ。
しかし、亀山城は第二次大本事件の際に時の政府により徹底的に破壊されているので、堀跡を撮るしかない。亀山城は明治以降宗教法人による改変があったかもしれないが、破壊するにも宗教法人の施設と文化財の区別がつかないとはこれをもってしても敗戦までの日本政府がいかに野蛮で無知蒙昧であったかがわかる。そもそも、第二次大本事件は宗教団体に治安維持法を適用した野蛮極まりないものだ。

次は芥川山城へ。
途中、3年前に見つけたブツの横を偶然通ったので、ここでも採集しておいた。
芥川山城は 3年前に登ろうとしたのだが、登山道が見つからず断念している。今回こそはと再チャレンジであるが、今回は難なく登ることができた。
図面を見ていると規模雄大な割には郭が分散していて守りにくそうな感じがするが、実際にはコンパクトにできていて各郭の連絡もそこそこ良さそうだ。
ここにも猪垣が設置されていて、東側には入ることができない郭がある。

次が飯盛山城
四条畷合戦の際に縣下野守(今のところ先祖である可能性が高いと思われる)が陣取った場所である。主郭からは木々に阻まれて展望があまり良くないが、主郭下段からの眺望が良い。この飯盛山のどこかに陣取り(太平記には飯盛山の[南の尾崎に扣たり]とある)、高師直の本陣に突入しようとする楠木正行を捉え、その動きを阻止しようとして深手を負った縣下野守のことを考えていたら、それだけで満足して他の郭を確認するのを忘れてしまった。

まだ時間があるので、次は信貴山城へ。
信貴山城は朝護孫子寺に取り込まれた感があり、主郭界隈で山城の雰囲気が残る箇所は僅かしかない。山城に登った、というよりもお参りをしたような・・・・

下山したら 16時30分を過ぎている。
今日はここまでだな。

本日の走行距離 185.6km

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2009年5月 8日 (金)

久々のツーリング その4

今日も広島市内は朝から天気が良い。今度こそ快適なツーリングを約束してくれるはずだ。
幸いにも陰干ししていた携帯が復活している。最近のは意外と頑丈になったな。

実は、昨晩は 1時まで飲んでいたため目覚めたのが 8時過ぎ。計画では岩尾城と黒井城に登る予定だったが、どう考えても時間的に無理。これでは事実上移動日になってしまいかねないが、ただ走るだけではつまらないので黒井城だけは必ず登ろうと決意し宿を出た。
腰の方は昨晩から湿布を貼っているので、痛みが緩和されている。昨日に比べて単車を運転していてもかなり楽になっている。

時間稼ぎに広島から山陽姫路東まで高速を使い、その後R372とR175経由で黒井城へ到着。
この時点で 15時を過ぎていたので、結果的にも岩尾城は無理であったわけだが。

黒井城の中心部までは 30分程度で登れたが、主郭からの眺望は素晴らしい。
ただ、ここから城下にひしめく明智光秀の軍勢を見下ろしていた籠城兵の心情はいかなるものであったことか。
それにしても、このような急峻な山の山頂に石垣を組むには、どれほどの賦役を領民に課したのだろう。

ちなみに、黒井城一帯は猪垣で取り囲まれている。さながら人の生活圏と自然とを隔てる結界のようだ。そういえば、主郭周辺には鹿の糞がいたるところにあった。月夜に山の頂で草を食む鹿の姿はさぞかし幻想的なものだろうな。

とか考えながら下山したらすでに 17時になっている。今日はこれ以上の行動はできないと判断して福知山の宿へ。

本日の走行距離 345.3km

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2009年5月 7日 (木)

久々のツーリング その3

広島市内は朝から天気が良い。快適なツーリングを約束してくれているかのようだ。通過ポントの天気予報も悪くて曇りで雨の心配はない、はずだった。

まずは久々に日本海を見たくて高速で浜田に直行。
昨日は沿道にバイク屋が何故かなくオイル交換ができないでいたのだが、昨晩に浜田市内のバイク屋を探しておいたのでまずはそこでオイル交換。
オイル交換の時間なんてたかが知れているが、店のおっさん(といっても同じ世代だと思う)と意気投合して延々と 1時間程度バイク談義をしてしまった。同じ世代だけあって(?)バイクに対する認識がほとんど同じであったことはやはり嬉しい。もともと FZR400RRSP は丁寧に作られているのだが、約19年間で 16万km以上走ってきたことに驚いていた。
今日店に来る学生(島根大学?)に[SPが来たぞ]と話すそうだ。

オイル交換も終わり店を出て浜田城へ。見て回るには時間がかかるかなと思いきや、近世城郭にしては意外と小規模な城であった。

なんだかんだで 12時近くになったので、次の目的地である吉川元春館に向かう。今度は一般国道(R186)を使うが、途中でまた腰が・・・・・
こうなってくると目的地がひたすら遠く感じる。1時間程で着いたのだが、大げさに言えば半日走っていたような虚しい疲労感がある。

吉川元春館には 30分程度いて、次は小倉山城へ。
案内板を見落としてしまうこと 2回。右往左往してようやくたどり着けた。

小倉山城は整備が行き届いている。一見山の合間にあるので展望がきかないのでは、と思いつつ主郭まで登ると比高差の割には展望が良い。

主郭に着いたあたりからなんだか雲行きが怪しくなってきた。降ることはないだろうけど早めに宿に着いた方がよさそうだなと思い、広島に向けて走り出すと広島自動車道の途中から土砂降りの雨となった。
油断して雨具は宿に置きっぱなしにしたので、ずぶ濡れになって宿に到着。
携帯がポケット内水没をしていて動作しない。乾燥させればなんとか、ならないよな。

本日の走行距離 270.9km

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2009年5月 6日 (水)

久々のツーリング その2

今朝、天気予報を見ていたら近畿地方は概ね[曇時々雨]。中国地方もかなり怪しい。それなりに準備して宿を出ると、快晴とは言えないけど結構良い天気ではないか?そうはいっても昨晩に計画を変更して宿も変えてしまったのでこうなったら広島に行くしかない。
高速に入ると確かに路面がまだ湿っているので、先程まで雨が降っていたらしい。下手するとこれから降るのかな、と思いながら走っていると天気はどんどん回復していく。これは願ってもないことだ。

しかし、腰が痛ぇ。
天気が回復したというのに 1時間も走っていると背中の荷物の重さが腰に響く。背中のバックには一眼レフとPCとケーブル類が一式入っているからなぁ。しかも姿勢変えられないし。

とかなんとかボヤキながら、13時には今日の目的地である吉田郡山城に到着。
2時間もあれば主要個所を巡れるだろうと安易に考えていたら、結局 3時間かかってしまい、時間的余裕がなくなってしまった。そろそろオイル交換しなければならないし、明日は5時起きだし、と考えると、ちと早いけど広島に向かわざるを得ない時間になっている。
腰も痛いし、3時間も山中を歩いてさすがに疲れたので、他を廻るのは断念しよう。

本日の走行距離 415.1km

追記
中国道勝央SAに昼飯を取るために入ったら、駐輪場に名古屋ナンバのマシンが 3台停めってあった。それだけならどこにでもある風景だが、そのマシンンの主 3人は 6人掛けの屋外テーブル 2つを占拠し昼寝の最中。
飯食ってトイレ行って自分の単車に戻ったらそいつらも戻っていて、よく見れば概ね同じ世代だ。同世代とはいえ、こんなクズもいるんだね。
おそらくこんな真似 1人じゃできやしないんだろうけど。同類と思われたくないもんだ。

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2009年5月 5日 (火)

久々のツーリング その1

今回のツーリングは、2006年8月に中国地方に向けて出かけたものの、福知山で単車を大破させてしまい途中で頓挫し引き返して以来の久々のツーリングになる。この時は福知山のホテルの駐車場で何故が突然こけてダイナモカバーが全損。結果ダイナモ本体もやられてエンジンがかからなくなった次第で、単車をレッカーで東京まで運ぶ羽目になってしまった。

思えば中国方面に出かけようとすると仕事が急に入ったり、キャブレタ不調で滋賀で引き返したりと満足に走れたことがあまりない。今回は準備も入念にしたし、天気予報も昨日(5/4)の夜段階では雨を避けながら走ることができるはず、だったのだが・・・

中央道に入って談合坂を過ぎたあたりで 1回目の雨。この時はすぐにやんだが、2回目は阿智PAの手前から小牧界隈まで本格的に降られ、もう大丈夫だろうと天王山城に登り始めたらまた降り出した。一時小康状態になったのでかろうじて何枚か写真は撮れたが、暫くすると本格的に降り出して仕方なく下山。
そもそも雨の合間の曇りで暗く、ほとんどのシャッタースビードが 1/10秒以下だったし、帯郭で空手の型を練習している御仁がいたりと、写真を撮るには条件が良くない。

予定を繰り上げて高槻のホテルに入り、今日は終わり。
計画だと明日は小浜経由で福知山まで行く予定であったが、途中経路は全て雨の予報なので計画を変更して一気に広島まで行ってしまおう。

しかし。。。。。
東京から高槻まで高速料金が 1,350円とは(??)

本日の走行距離 537.9km

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2009年5月 3日 (日)

今日は箕輪まで

箕輪と言っても群馬県の箕輪ではない。長野県伊那地方の箕輪まで行ってきた。直前まで再度諏訪に行こうと考えていたが、地図を見ていたら箕輪の方が面白そうなので急遽目的地を変更。
最近はほとんどツーリング=城巡りと化しているが、それでも初めての土地に行くのは新鮮であり、思いがけない発見もあるから楽しい。そんな訳で今日は上伊那の上ノ平城箕輪城羽場城を巡った。天気も良いし、ETC割引でどこまで行っても 1,000円だし(中央道は高井戸~八王子間で別途350円取られるが・・・)、渋滞さえなければ最高なのだが。今日は往きは八王子から上野原まで自然渋滞、諏訪南から岡谷ジャンクションまで事故渋滞、帰りも談合坂から小仏トンネルまで事故渋滞と渋滞に 3度も巻き込まれ結構な時間をロスしてしまった。

事故渋滞は不可抗力としても、ETC割引の結果で起きた渋滞はちょっとね。高速を走っている車が全て ETC付けてる訳でもないのに、こうした人にとっては迷惑この上ないだろう。考えようによっては、事故だって普段高速を利用してない連中が割引に惹かれてわんさか繰り出した結果かもしんないし。そもそもエコ、エコと騒いでいる割には渋滞を発生させて二酸化炭素や窒素酸化物、粒子状物質をばら撒いているんだから本末転倒もいいとこだ。
今回の割引だって裏にどんな利権があることやら。

なんてことを考え始めると暗くなるだけなので、今は能天気に休暇を楽しむことにして、これはこれで別の機会にじっくり考えよう。

本日の走行距離 435.7km

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2009年4月12日 (日)

桜城@諏訪

なんと、先週の日曜日(4月5日)が初乗り!
寒い、仕事が、とか理屈を作ってはさぼっていた結果だ。
で、今日は今年2度目のツーリングとなった。

さて、今日の目的地は諏訪大社下社秋宮の裏手にある[桜城]である。
諏訪までは当然高速を使うわけだが、例の[ETC割引]のおかげで往きも帰りも小仏峠と笹子峠が渋滞。帰りの小仏峠は談合坂から始まっていた。そんなに長い渋滞でもないし、高速料金が安くなっていることもありあまり文句は言えないが。
おまけに帰りは変なとこで渋滞していると思いきや珍走団が湧いていたりと、春になったんだね。そろそろ家のゴキブリ対策もしなくてはならないかな。

本日の走行距離 412.3km

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2008年12月31日 (水)

今年の終りに

今日は今年最後のツーリングをすることにした。外気はそんなに寒くないが、風が強く体感温度はかなり低くなっている。モコモコ状態で走り出したが、暖かいとは御世辞にも言えない。でも根性で何とかなるはずだ。

まずは國王神社へ。最近、迷いが生じるとここに来ることが多くなっている。考えて何もしないより、わずかでも前進したほうがいいに決まっているのだが、ものによってはなかなか一歩を踏み出せないこともある。そのための動機付けみたいなものだが。

続いて足利まで赴き上県城を探したのだが見つからない。県にある浄徳寺(ここが例の寺なのであるが)の南西にあるはずなのだが、それらしい地形が見当たらない。もっと資料をあさって再度探そう。

時間もあるし、帰り道でもあるので忍城に寄って行こうと考えたのだが、道は空いているし単車の調子が良いので気がついたら行田を過ぎ北鴻巣まで一気に走ってしまった。もう戻るのも面倒なので帰ろう。また来ればいいさ。

結局、今年は満足に走ることができなかった。前半は休日に雨の降る日が多く、9月と10月はそこそこ走れたものの、11月から12月下旬まで今度は仕事で休日を犠牲にしてしまった。
それでも今日(2008年12月31日)時点の総走行距離が 165,960.4km。約18年半でここまできた。
最近リアカウル周りが崩壊してフレームにビニール紐で括り付けて固定しているという、外装は信じがたい状態になってしまったが、エンジンは非常に調子が良い。まだまだ走れる。

この2年、長期間のツーリングをしていないので来年は北海道に行こうか。
今年果たせなかった韓国ツーリングも実現させよう。

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2008年6月21日 (土)

FZR400RRSP(その2)

5月になってから、土日になれば雨とか、晴れても仕事や何かと用事があり全く遠出ができなかった。実際昨日(6月15日)も何故か仕事。梅雨の中休みで天気も良く、絶好のツーリング日和だたっのだが。

で、今日(6月16日)こそはと繰り出したのだが、高速に乗る前に給油している際にふと前輪を見るとケーブルが垂れている。??と見るとスピードメーターからケーブルが外れているではないか。何時外れたんだと思いつつ付け直したが何か厭な予感が。。。。。

それでもメーターはちゃんと動いているし、大丈夫だろうと練馬インターから関越に入り、さて巡航するかと 7,000回転程度まで上げたところ、急にエンジンがストップ。キルスイッチ触っちまったかと思い確認したけどこれは大丈夫。ぢゃ、ヒューズが飛んだ?
しかも追越車線を走っていての急減速なもんで右側に寄せざるを得ず、路肩の反対側で完全停止してしまった。その後は何をしても全くエンジンに点火しない。完全にヒューズが飛んだな、これは。

さて、車はビュンビュン来るし、どうしませうか。ここ、入り口から 500mも離れていないし、上り坂(逆走すれば下り坂)でもあるからいっそのこと逆走するか。でもさすがに逆走はまずいよな、と考えているうちに高速入口の信号が変わり車の流れが途絶えた。チャンスとばかり路肩まで単車を押して、とにかく新座料金所まで行こうと単車を転がし始めたのだが、ここで迂闊だったのが新座料金所まで行けば外に出られる、したがってその後の行動の自由度が増す、と考えてしまったこと。よくよく考えれば新座[料金所]であって新座[インター]ではない。どこかのインターのイメージとだぶってしまい、おかしな錯覚をしてしまった。急場には何でも都合よく解釈するものだ。

そのまましばらく行くと、今度は大泉インターとの合流ポイントがある。ここは交通量が少ないので難なく再度路肩に移動することができたが、変な錯覚をしたが故に新座料金所まで転がし続けることになろうとは。

新座料金所に着いて初めて[出口が無い=>次の出口は所沢インター]であることが遅まきながら判り、ここで断念して JAFを呼ぶ羽目になる。1時間程で JAFが来たので行きつけの店まで運んでもらい、家に着いたのが 14:30。中途半端な時間でまとまったことはもうできない。当然単車は入院だし。何とも虚しい一日だった。

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2007年12月 2日 (日)

[神流川古戦場]と[沼尻古戦場]

最近は単車で出かける目的がほぼ古城巡りになっているが、[神流川古戦場]と[沼尻古戦場]を巡る久々にツーリングらしい遠出をした。12月とはいえ暖かく(これはこれで大問題なのだが)単車のエンジンも快調で、非常に気分がいい。
おまけに誌名は忘れたが、[道の駅みかも]で雑誌の取材を受け、写真入りで記事が載るらしい。来年の1月19日発売とか言ってたな、確か。

で、[神流川の合戦]は、天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変直後の6月18日から19日にかけて、北条勢56,000と滝川勢18,000(両陣営の人数に関しては出典調査中)の間で戦われているが、特に19日は激戦だったようで滝川勢は4,000近く討ち取られて事実上壊滅し、上野国における織田領国は消滅した。

神流川古戦場(武蔵国側から望む)
Photo






一方、[沼尻の合戦]は、天正12年(1584年)に北条勢3,500騎と佐竹・宇都宮勢3,000騎([古先御戦聞書]の記載による)の間で戦われた。[騎]とあることから、これは[騎乗の武士]を指すと思われる。戦国時代の軍編成においては、[騎乗の武士]は全体の約10%であることから、実際の北条勢は約35,000、佐竹・宇都宮勢は約30,000であろう。これに兵站部隊やその護衛部隊を加えると両陣営の動員数はさらに膨らむと思われる。

[今宮祭祀録]には[110日にて御帰陣]との記述があるが、これは出陣から帰陣までの期間であると思われ、実際の対陣期間は5月上旬から7月下旬に至る約80日であろう。
戦闘による決着はつかず対陣は膠着状態になるが、7月15日に北条勢が岩舟山を攻略したことで佐竹・宇都宮勢は退路を遮断される形になり、7月22日に和議が成立している。
しかし、その後の北関東情勢は北条有利に展開していることから、この合戦での戦術的な評価はどうであれ、戦略的には北条の完勝といえるが、北関東で局地的な勝利を収めても、全国的な政治レベルでは北条は秀吉に敗北することになる。

沼尻古戦場
Photo_2






沼尻合戦時の北条勢の利根川渡河地点である巨海(現群馬県邑楽郡大泉町古海)Photo_3

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2007年10月15日 (月)

FZR400RRSP

愛車のYAMAHA FZR400RRSP の1990年モデル。
かれこれ17年と4ヶ月、159,521.9km乗っているので最近は経年劣化が激しく頻繁に部品を交換せざるを得ないが、耐久性は抜群。良いものは長持ちすることを証明しているようなものなので、多少はメーカーサポートがあってもいいかと思うが・・・・

2005年8月7日 信濃国上原城にて
Fzr400rrsp

 

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