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2009年7月12日 (日)

縣左京亮入道道忻

縣左京亮入道道忻は、[平凡社 日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名]の西大沼村に関する説明文中に出てくる。[平凡社 日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名]の記述に沿ってまとめてみると以下のようになる。

文明9(1477)年5月26日の縣道忻書状(鑁阿寺文書)によれば、道忻は縣式部丞の病気平癒祈願のため[大沼郷之内橋本給分]を下野鑁阿寺に寄進したと[三島同宿中]に報じている。
その後、応仁2(1468)年3月5日に清水三郎二郎が武蔵国旦那知行分を鳥居御坊に永代売渡しており、そのなかに[大ぬま一円]が含まれている([旦那在所注文案]熊野那智大社文書)。
戦国期には深谷上杉氏の支配下に置かれ、大沼郷一帯は家臣大沼弾正忠の所領となったとのこと。

鑁阿寺に所領を寄進していることから、縣左京亮入道道忻は足利庄と関係のある人物であると推察できるが、何故、この時期突然武蔵国榛沢郡大沼郷に縣氏が現れるのか。

[栃木県史 通史編3・中世]によれば、

文正元(1466)年長尾景人が足利庄の代官として入部(足利市長林寺蔵[長尾系図])するに及んで、(葉苅郷は)長尾氏と被官関係にあった縣氏に給分として給与されたものと思われる。しかし、そのすべてが縣氏の給分であったわけではなく、長尾景長書状に、[葉苅之内小地寄進せしめ候]((栃木県史 史料編・)中世1・鑁阿寺文書289)とあるように、その一部は鑁阿寺十二支院の一つ金剛乗院に寄進されていた。

とのことなので、後の縣左京亮忠親に連なると思われる系統は遅くとも15世紀中頃には長尾氏の被官になっていたのだろう。この通史編の記述によると、縣氏の一系統は長尾氏の足利庄入部を契機に葉苅郷の一部を領有することになったようである。

したがって、通史編の記述と併せ、大沼郷は元々長尾氏の領地であり縣氏が長尾氏から給分されたものと解釈すれば、大沼郷における縣道忻の唐突とも取れる出現が理解できる。
もっとも、[平凡社 日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名]に記述されている内容からは、縣氏の大沼郷支配が一時的なものであったらしいことが窺える。

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