下野国足利氏館
建久7(1196)年に足利義兼が持仏堂として堀内御堂を建立したことから鑁阿寺の歴史が始まるが、この時期には屋敷の一部に持仏堂を建立したのだから足利氏の政庁としての館の機能が損なわれることはなかったであろう。しかし、文暦元(1234)年に足利義氏が伽藍を整備してからは館の敷地は足利氏の氏寺としての鑁阿寺になってしまう。
はたして、義氏は政庁としての館を何処に構えたのであろうか。義氏は三河守護だし、執権北条氏とも血縁関係(母親が北条時政の娘)にある有力御家人であったことを考えればそれなりの規模の館が必要だったはずだが、あるいは鎌倉にいることが多かったので以前のような規模の館を足利に構えることが不要になったのだろうか。
などと考えながら散策していたら原爆タイプと高所ドアがあった。
No.389(栃木県NO.31) 足利氏館
場所 栃木県 足利市 家富町
日時 2009年6月7日 13:36:10(足利氏館堀) 13:43:24(土塁)
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