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2009年6月 7日 (日)

老後の楽しみだったはずだが・・・

5月上旬の中国地方ツーリングの後、狙ったかのように土日に天気が崩れ出るに出られなかったのだが、今日は久々に気分の良い天気。気温がちと高いが。

前回足利に行った時には上県城の位置が分らず悶々としたままで引き返したのだが、今回は既に地図上に場所を落としてある。なんてことはない、前回入り込んだ袋小路の畑が上県城だった。土塁が一部残っているとのことなのだが、土塁があるであろう界隈が見事なブッシュで何も見えない。土塁は確実にここにあるはずなのだが、これじゃ写真撮っても何が何だか分からないだけになる。
諦めた。

次は下野國一社八幡宮へ。
ここは元々浄徳寺の脇に祠があったものをいつの時代だかに縣郷から縣氏の一部が出ていった際に一緒に遷したと聞いたことがある。実際、この界隈には縣姓が数軒あるそうだ。
が、実存したかどうかは別にして、文献上縣姓(実際には[懸]であるが)の武士が登場するのは後三年の役における金沢柵陥落時(寛治元(1087)年)の記述が調べた限りでは初見である。八幡宮は天喜4(1056)年に源頼義・義家父子が前九年の役に際して戦勝を祈願し男山八幡宮を勧請して創建したとのことであるので、これでは辻褄が合わない。
まぁ、物語なのだからこんなもんだろう。

まだ時間があるな、折角ここまで来たのだから市内に行って足利氏館界隈でも散策してから帰ろう。

ところで、何故にまた足利かというと・・・

[老後の楽しみ]だったはずの先祖探しを始めた。
実は、以前書いた文書中にある[寺の過去帳]なるものが実際には存在しないし、この寺(浄徳寺)に残されていた古文書は専門家曰く江戸時代の偽文書らしい。また、縣氏に関しては別系統の伝承(祖先の物語であり歴史ではない)もあるが、これには吾妻鏡に記されている縣左近将監や縣佐藤四郎をはじめ、関東幕注文に記されている縣左衛門、縣七郎、縣新次郎に関する記述がない。
こうした偽文書や伝承を根拠にして足利の在地武士である縣氏の後裔云々とは実にナンセンスだが、地元では歴史家の記述により[物語]が[歴史]になってしまっている。
また、実家には縣氏との関係を伝える系図のコピーがある。この系図、多少の間違いはあるるものの、記述されている内容の大部分は他の史料で確認することができたので大筋信頼できるのであるが、江戸時代初期に縣姓から小宮姓に唐突に苗字が変わっている理由が明確でない。
普通ならこのような評価を抜きにして[私の先祖は秀郷流藤原氏の由緒正しい武士である]となるのだろうが、多少歴史をかじり史料による検証が必要であることを承知している自分としては納得がいかないので自分なりに調べてみることにした。
今後別のカテゴリーで細々と調べた結果をまとめていこうと考えているが、いろいろと確認したいことあるので、久々に足利に出かけたのでした。

本日の走行距離 254.2km

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コメント

初めまして。私は昨年父を亡くして以来、急に自分の先祖についてムクムクと興味が湧いてきまして(年齢的なものもあるでしょうし、いずれ苗字が絶えるかも?ということに対して初めて何とも言えない気持ちになりまして)家系図のコピーを母に見せてもらい、そこから自分なりに調べていたところでしたので、こちらのブログを見つけてびっくりしています。「泰の孫娘」で私の素性をわかっていただけるでしょうか?孫娘といっても立派なおばさんですが。突然このようなコメントを残す失礼をお許しください。足利まではなかなか行く機会がなく、これからもChevalierさんの情報を拝見させていただけるとありがたいのです。よろしくお願いします。

投稿: 泰の孫娘 | 2009年6月10日 (水) 19時56分

泰の孫娘さま

コメントありがとうございます。

小宮ケイさん所縁の方からのコメント、嬉しい限りです。
今後、時間をかけて調べていく所存ですので、よろしくお願いします。

このような祭りが静岡県にありますが御存じでしょうか。

小笠神社矢矧祭
http://miko.maiougi.com/photo55.htm

投稿: 高島 | 2009年6月10日 (水) 22時16分

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