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2009年5月

2009年5月24日 (日)

安芸国吉田郡山城

吉田郡山城、実は 3年前に広島から米子に向かう際に立ち寄ろうとしたのだが、この時は前日に飲みすぎて出発が遅れてしまったため、時間不足で割愛した経緯がある。
今回は比較的時間もあるので、主要箇所を全て廻ることができた。

この城は国人領主であれば十分すぎる規模だろうけど、中国地方の覇者となった毛利氏にとっては手狭だし立地条件を考えれば広島城を新たに普請したことが十分理解できるな。

No.380(広島県NO.3) 吉田郡山城
場所 広島県 安芸高田市 吉田町 吉田
日時 2009‎年‎5‎月‎6‎日 ‏‎13:19:16(旧本城) ‏‎‏‎14:28:00(主郭櫓台)

吉田郡山城旧本城と主郭櫓台
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山城国天王山城

雨が降ったりやんだりしたせいか、伊吹PAに着いた時には意外と時間が経っていた。
当初は5月5日は芥川山城を攻略し天王山城は5月6日に攻略する予定であったが、芥川山城は 3年前に登山道が見つからず断念した経緯もあり、城自体も規模が大きいのでやはり十分な時間が欲しい。であれは、時間も押していることだし、芥川山城は明日にして今日は天王山城にしようと計画を変更した(芥川山城は結局 5月 9日となってしまったが)。

天王山城は戦国期の他の山城と比較すると作りが新しいように思える。山崎は京の入口を守備するための重要な地点でもあることから、天王山には古くより何らかの施設があったのだろうが、山崎の合戦後大阪築城まで羽柴秀吉が居城としたことから、現在に残る遺構はこの時期に改修されたものではないか。

No.379(京都府NO.5) 天王山城
場所 京都府 大山崎町 大山崎
日時 2009‎年‎5‎月‎5‎日 ‏‎15:11:52(主郭) ‏‎15:20:46(井戸跡)

天王山城主郭と井戸跡
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諏訪市分類不明

上諏訪駅はなんだかんだで結構利用するのだが、ここにも訳のわからない物がある。
はたしてトマソンと言えるのかどうか不明だが、一応採集した。

No.470(長野県NO.33) 諏訪市分類不明
場所 長野県 諏訪市 諏訪1丁目
日時 2009‎年‎5‎月‎14‎日 ‏‎18:55:26
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箕輪町地層

仕事で箕輪町に行った時に見つけたブツ。
仕事も終わり、伊那松島駅で電車を待っている時にふと向かいのホームを見ると過去のホームが埋もれていた。

No.469(長野県NO.32) 箕輪町地層
場所 長野県 箕輪町 中箕輪
日時 2009‎年‎5‎月‎14‎日 ‏‎17:42:50
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信濃国羽場城

主郭部の保存状態は良いが、外郭の土塁は削り取られてほとんど残っていない。
城址も寺社の敷地になっていれば比較的良い状態が保たれる例が多いが、行政が城址に公的施設を建ててものの見事に破壊する例もまた多い。
文化財を保護する立場にある者が率先して破壊するのはいかがなものか。もっとも、当事者には破壊するという意識すらないのかもしれないが(松島城が良い例)。

No.378(長野県NO.40) 羽場城
場所 長野県 辰野町 伊那富
日時 ‎2009‎年‎5‎月‎3‎日 ‏‎14:56:00(主郭土塁) ‏‎14:50:58(空堀)

羽場城主郭土塁と空堀
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信濃国箕輪城

おそらく単郭の城郭。館と言った方が適切かもしれない。郭内部は墓地になっているが、南側と西側には空堀が明瞭に残っている。
北側の道路も元は堀だったのであろう。

No.377(長野県NO.39) 箕輪城
場所 長野県 箕輪町 中箕輪
日時 2009‎年‎5‎月‎3‎日 ‏‎13:37:52

箕輪城空堀
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信濃国上ノ平城

事前に見た資料からは比較的小規模な城であるとの印象であったが、実際にはかなりの規模がある。
南側は急崖となっているし、後背以外は十分な比高差があるので防御性は高いと思われるが、後背の遮断が甘いような気がするが。

No.376(長野県NO.38) 上ノ平城
場所 長野県 箕輪町 東箕輪
日時 2009‎年‎5‎月‎3‎日 ‏‎12:31:52(主郭) ‏‎‏‎12:34:56(空堀)

上ノ平城主郭と空堀
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2009年5月11日 (月)

宇治市原爆タイプ

東京へは奈良から宇治に出て大津に向かうコースを採ったが、城陽の界隈で道を間違えて偶然通った JR宇治駅の斜め向かいにあったブツ。

No.468(京都府NO.4) 宇治市原爆タイプ
場所 京都府 宇治市 宇治
日時 2009‎年‎5‎月‎10‎日 ‏‎9:13:58
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奈良市原爆タイプ(2)

これは前掲のブツを採集しようとして Uターンした時に見つけたもの。

No.467(奈良県NO.2) 奈良市原爆タイプ(2)
場所 奈良県 奈良市 手貝町
日時 2009‎年‎5‎月‎10‎日 ‏‎8:21:14
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奈良市原爆タイプ(1)

5月10日、東京への帰路の途中で立ち寄った多聞山城を後にし、京都方面に向かうために転害門の交差点を左折したところ、すぐさま目に飛び込んできたブツがこれ。

No.466(奈良県NO.1) 奈良市原爆タイプ(1)
場所 奈良県 奈良市 手貝町
日時 2009‎年‎5‎月‎10‎日 ‏‎8:26:28
09051002

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高槻市純粋階段

3年前、芥川山城の登山口を探して彷徨った時に見つけたのだが、その時はどういう訳か採集せずにその場を去ってしまった。所在地は覚えているので、今回のツーリングの目的地でもある芥川山城から降りてきたら採集しようと考えていたのだが、亀岡から芥川山城に向かう途中で偶然見つけたのですぐさま採集した。

No.465(大阪府NO.4) 高槻市純粋階段
場所 大阪府 高槻市 松が丘4丁目28
日時 2009‎年‎5‎月‎9‎日 ‏‎10:09:52
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福知山市原爆タイプ

ツーリングの最中、5月8日の夕暮れに JR福知山駅前の宿に着き、一息入れて晩飯を取るべく商店街を物色していた時に見つけたブツがこれ。
この時は既に暗くなりつつあったので、翌日の朝、福知山城に赴く途中に立ち寄って採集した。

No.464(京都府NO.3) 福知山市原爆タイプ
場所 京都府 福知山市 天田南本町
日時 2009‎年‎5‎月‎9‎日 ‏‎7:05:22
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2009年5月10日 (日)

LA CUVEE MYTHIQUE [2003]

2009年5月10日(日)

久々に長距離ツーリングをした。2006年の 8月に中国地方を巡ろうとするも福知山で単車が大破して途中で頓挫して以来となる。
前半は天気が今一だったが、後半は天気も回復し気分よく走ることができた。
そんで今日東京に帰って来て、無事に帰ってこれたことを口実に 1本購入したのがこれ。

エチケットのフクロウの絵が気に入っただけの理由で購入したのであるが、非常に優しいワインで旅の疲れを癒すにちょうどよい。しかも、これまた適当に購入したつまみにも良く合う。これも見っけもんだと思う。

フクロウと言えば、ヘーゲルの法哲学概要に[ミネルバのフクロウは夕暮れに初めて飛び始める]という有名な一節があるが、この解釈は一般的には人生の晩年に人は初めて真実を知る、というものであるようだ。しかし、フクロウという種の多くが夜行性であることを踏まえれば、夕暮れという環境の変化によりフクロウが行動を始める、つまり、外界の変化(=量的変化)により、飛翔を始める(=質的変化が生じる)という弁証法の本質的なところを比喩的に語っているのではないかと勝手に考えている。
これにミネルバのフクロウが知性の象徴であることを考慮すると、社会的な問題の激化の渦中からそれを解決すべき理論が必然的に生まれてくること、言い換えれば、問題を解決すべき理論を生み出す主体は問題の渦中にいる人間そのものでなければならないとも言えるのではないか?

哲学を言葉遊び的に用いる輩を軽蔑する。哲学は現実を解釈するだけのものではなく、不合理な現実を変革するために存在しなければならないと思う。

LA CUVEE MYTHIQUE [2003]
La_cuvee_mythique_2003

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久々のツーリング その6

今日はツーリングの最終日で、東京への帰路となる。
奈良市内に宿をとったので、多聞山城経由で帰ることにする。

ところで、多聞山城は若草中学校の敷地となっており、石碑が階段の傍らにポツンと立っているのみ。
事前に中学校の事務に連絡しておけば敷地内を隈なく見ることもできたろうに、今日は日曜日なのでそれもできず、不審者扱いされるのも嫌なので石碑を見物するだけで我慢することにした。
一応周囲を単車で一周してみたが、木々に覆われた斜面が遺構と言えば遺構だ。

京都と奈良という、この国の文化財の宝庫とも言えるところで、意外と破壊が目につくことにすごい違和感がある。
奈良市内では、記憶にあるだけでも R24バイパス建設(国の事業!)の際にウワナベ古墳の外周部が破壊されているし、奈良そごう(現イトーヨーカドー奈良店)は長屋王邸跡(約3万5000点の木簡が出土し、この数は当時出土していた木簡の総数の約1/3に相当する)におっ建てたし。

木端役人が議員と企業に癒着するとろくなことにならない。文化財という、失われたら再現することが不可能なものを目先の利益に目がくらみ破壊してしまうことは犯罪的である。特に長屋王邸跡の破壊は、後世にどのような言い訳ができるのだろう。

などと考えつつ、転害門の交差点から京都方面に向かうとすぐにブツが見つかり、採集しようとして Uターンするともう 1つブツを発見し、これも採取。
その後、宇治経由で大津に出たのだが、宇治駅の前でブツを採集した。

瀬田東から高速に乗り、ひたすら走って東京へ。

これから 6日間の余韻に浸りながらワインを飲むぞ。

本日の走行距離 561.8km
6日間の全走行距離 2316.6km

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2009年5月 9日 (土)

久々のツーリング その5

福知山は朝靄に包まれていた。昨晩は宿の窓からライトアップされた福知山城天守閣が見えていたが、靄で全く見えない。
そんな状況下で福知山城へ。
行きがけに昨晩見つけたブツを採集。

実は、福知山城と亀山城(丹波)は以前に訪れているのだが、何故か写真を撮っていない。今回は行程が福知山経由となったことからちょっと寄って写真だけ撮っておこう。

福知山城はお決まりの角度から天守閣(復元)をパチリ。
しかし、亀山城は第二次大本事件の際に時の政府により徹底的に破壊されているので、堀跡を撮るしかない。亀山城は明治以降宗教法人による改変があったかもしれないが、破壊するにも宗教法人の施設と文化財の区別がつかないとはこれをもってしても敗戦までの日本政府がいかに野蛮で無知蒙昧であったかがわかる。そもそも、第二次大本事件は宗教団体に治安維持法を適用した野蛮極まりないものだ。

次は芥川山城へ。
途中、3年前に見つけたブツの横を偶然通ったので、ここでも採集しておいた。
芥川山城は 3年前に登ろうとしたのだが、登山道が見つからず断念している。今回こそはと再チャレンジであるが、今回は難なく登ることができた。
図面を見ていると規模雄大な割には郭が分散していて守りにくそうな感じがするが、実際にはコンパクトにできていて各郭の連絡もそこそこ良さそうだ。
ここにも猪垣が設置されていて、東側には入ることができない郭がある。

次が飯盛山城
四条畷合戦の際に縣下野守(今のところ先祖である可能性が高いと思われる)が陣取った場所である。主郭からは木々に阻まれて展望があまり良くないが、主郭下段からの眺望が良い。この飯盛山のどこかに陣取り(太平記には飯盛山の[南の尾崎に扣たり]とある)、高師直の本陣に突入しようとする楠木正行を捉え、その動きを阻止しようとして深手を負った縣下野守のことを考えていたら、それだけで満足して他の郭を確認するのを忘れてしまった。

まだ時間があるので、次は信貴山城へ。
信貴山城は朝護孫子寺に取り込まれた感があり、主郭界隈で山城の雰囲気が残る箇所は僅かしかない。山城に登った、というよりもお参りをしたような・・・・

下山したら 16時30分を過ぎている。
今日はここまでだな。

本日の走行距離 185.6km

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2009年5月 8日 (金)

久々のツーリング その4

今日も広島市内は朝から天気が良い。今度こそ快適なツーリングを約束してくれるはずだ。
幸いにも陰干ししていた携帯が復活している。最近のは意外と頑丈になったな。

実は、昨晩は 1時まで飲んでいたため目覚めたのが 8時過ぎ。計画では岩尾城と黒井城に登る予定だったが、どう考えても時間的に無理。これでは事実上移動日になってしまいかねないが、ただ走るだけではつまらないので黒井城だけは必ず登ろうと決意し宿を出た。
腰の方は昨晩から湿布を貼っているので、痛みが緩和されている。昨日に比べて単車を運転していてもかなり楽になっている。

時間稼ぎに広島から山陽姫路東まで高速を使い、その後R372とR175経由で黒井城へ到着。
この時点で 15時を過ぎていたので、結果的にも岩尾城は無理であったわけだが。

黒井城の中心部までは 30分程度で登れたが、主郭からの眺望は素晴らしい。
ただ、ここから城下にひしめく明智光秀の軍勢を見下ろしていた籠城兵の心情はいかなるものであったことか。
それにしても、このような急峻な山の山頂に石垣を組むには、どれほどの賦役を領民に課したのだろう。

ちなみに、黒井城一帯は猪垣で取り囲まれている。さながら人の生活圏と自然とを隔てる結界のようだ。そういえば、主郭周辺には鹿の糞がいたるところにあった。月夜に山の頂で草を食む鹿の姿はさぞかし幻想的なものだろうな。

とか考えながら下山したらすでに 17時になっている。今日はこれ以上の行動はできないと判断して福知山の宿へ。

本日の走行距離 345.3km

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2009年5月 7日 (木)

久々のツーリング その3

広島市内は朝から天気が良い。快適なツーリングを約束してくれているかのようだ。通過ポントの天気予報も悪くて曇りで雨の心配はない、はずだった。

まずは久々に日本海を見たくて高速で浜田に直行。
昨日は沿道にバイク屋が何故かなくオイル交換ができないでいたのだが、昨晩に浜田市内のバイク屋を探しておいたのでまずはそこでオイル交換。
オイル交換の時間なんてたかが知れているが、店のおっさん(といっても同じ世代だと思う)と意気投合して延々と 1時間程度バイク談義をしてしまった。同じ世代だけあって(?)バイクに対する認識がほとんど同じであったことはやはり嬉しい。もともと FZR400RRSP は丁寧に作られているのだが、約19年間で 16万km以上走ってきたことに驚いていた。
今日店に来る学生(島根大学?)に[SPが来たぞ]と話すそうだ。

オイル交換も終わり店を出て浜田城へ。見て回るには時間がかかるかなと思いきや、近世城郭にしては意外と小規模な城であった。

なんだかんだで 12時近くになったので、次の目的地である吉川元春館に向かう。今度は一般国道(R186)を使うが、途中でまた腰が・・・・・
こうなってくると目的地がひたすら遠く感じる。1時間程で着いたのだが、大げさに言えば半日走っていたような虚しい疲労感がある。

吉川元春館には 30分程度いて、次は小倉山城へ。
案内板を見落としてしまうこと 2回。右往左往してようやくたどり着けた。

小倉山城は整備が行き届いている。一見山の合間にあるので展望がきかないのでは、と思いつつ主郭まで登ると比高差の割には展望が良い。

主郭に着いたあたりからなんだか雲行きが怪しくなってきた。降ることはないだろうけど早めに宿に着いた方がよさそうだなと思い、広島に向けて走り出すと広島自動車道の途中から土砂降りの雨となった。
油断して雨具は宿に置きっぱなしにしたので、ずぶ濡れになって宿に到着。
携帯がポケット内水没をしていて動作しない。乾燥させればなんとか、ならないよな。

本日の走行距離 270.9km

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2009年5月 6日 (水)

久々のツーリング その2

今朝、天気予報を見ていたら近畿地方は概ね[曇時々雨]。中国地方もかなり怪しい。それなりに準備して宿を出ると、快晴とは言えないけど結構良い天気ではないか?そうはいっても昨晩に計画を変更して宿も変えてしまったのでこうなったら広島に行くしかない。
高速に入ると確かに路面がまだ湿っているので、先程まで雨が降っていたらしい。下手するとこれから降るのかな、と思いながら走っていると天気はどんどん回復していく。これは願ってもないことだ。

しかし、腰が痛ぇ。
天気が回復したというのに 1時間も走っていると背中の荷物の重さが腰に響く。背中のバックには一眼レフとPCとケーブル類が一式入っているからなぁ。しかも姿勢変えられないし。

とかなんとかボヤキながら、13時には今日の目的地である吉田郡山城に到着。
2時間もあれば主要個所を巡れるだろうと安易に考えていたら、結局 3時間かかってしまい、時間的余裕がなくなってしまった。そろそろオイル交換しなければならないし、明日は5時起きだし、と考えると、ちと早いけど広島に向かわざるを得ない時間になっている。
腰も痛いし、3時間も山中を歩いてさすがに疲れたので、他を廻るのは断念しよう。

本日の走行距離 415.1km

追記
中国道勝央SAに昼飯を取るために入ったら、駐輪場に名古屋ナンバのマシンが 3台停めってあった。それだけならどこにでもある風景だが、そのマシンンの主 3人は 6人掛けの屋外テーブル 2つを占拠し昼寝の最中。
飯食ってトイレ行って自分の単車に戻ったらそいつらも戻っていて、よく見れば概ね同じ世代だ。同世代とはいえ、こんなクズもいるんだね。
おそらくこんな真似 1人じゃできやしないんだろうけど。同類と思われたくないもんだ。

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2009年5月 5日 (火)

久々のツーリング その1

今回のツーリングは、2006年8月に中国地方に向けて出かけたものの、福知山で単車を大破させてしまい途中で頓挫し引き返して以来の久々のツーリングになる。この時は福知山のホテルの駐車場で何故が突然こけてダイナモカバーが全損。結果ダイナモ本体もやられてエンジンがかからなくなった次第で、単車をレッカーで東京まで運ぶ羽目になってしまった。

思えば中国方面に出かけようとすると仕事が急に入ったり、キャブレタ不調で滋賀で引き返したりと満足に走れたことがあまりない。今回は準備も入念にしたし、天気予報も昨日(5/4)の夜段階では雨を避けながら走ることができるはず、だったのだが・・・

中央道に入って談合坂を過ぎたあたりで 1回目の雨。この時はすぐにやんだが、2回目は阿智PAの手前から小牧界隈まで本格的に降られ、もう大丈夫だろうと天王山城に登り始めたらまた降り出した。一時小康状態になったのでかろうじて何枚か写真は撮れたが、暫くすると本格的に降り出して仕方なく下山。
そもそも雨の合間の曇りで暗く、ほとんどのシャッタースビードが 1/10秒以下だったし、帯郭で空手の型を練習している御仁がいたりと、写真を撮るには条件が良くない。

予定を繰り上げて高槻のホテルに入り、今日は終わり。
計画だと明日は小浜経由で福知山まで行く予定であったが、途中経路は全て雨の予報なので計画を変更して一気に広島まで行ってしまおう。

しかし。。。。。
東京から高槻まで高速料金が 1,350円とは(??)

本日の走行距離 537.9km

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2009年5月 3日 (日)

今日は箕輪まで

箕輪と言っても群馬県の箕輪ではない。長野県伊那地方の箕輪まで行ってきた。直前まで再度諏訪に行こうと考えていたが、地図を見ていたら箕輪の方が面白そうなので急遽目的地を変更。
最近はほとんどツーリング=城巡りと化しているが、それでも初めての土地に行くのは新鮮であり、思いがけない発見もあるから楽しい。そんな訳で今日は上伊那の上ノ平城箕輪城羽場城を巡った。天気も良いし、ETC割引でどこまで行っても 1,000円だし(中央道は高井戸~八王子間で別途350円取られるが・・・)、渋滞さえなければ最高なのだが。今日は往きは八王子から上野原まで自然渋滞、諏訪南から岡谷ジャンクションまで事故渋滞、帰りも談合坂から小仏トンネルまで事故渋滞と渋滞に 3度も巻き込まれ結構な時間をロスしてしまった。

事故渋滞は不可抗力としても、ETC割引の結果で起きた渋滞はちょっとね。高速を走っている車が全て ETC付けてる訳でもないのに、こうした人にとっては迷惑この上ないだろう。考えようによっては、事故だって普段高速を利用してない連中が割引に惹かれてわんさか繰り出した結果かもしんないし。そもそもエコ、エコと騒いでいる割には渋滞を発生させて二酸化炭素や窒素酸化物、粒子状物質をばら撒いているんだから本末転倒もいいとこだ。
今回の割引だって裏にどんな利権があることやら。

なんてことを考え始めると暗くなるだけなので、今は能天気に休暇を楽しむことにして、これはこれで別の機会にじっくり考えよう。

本日の走行距離 435.7km

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