2012年5月27日 (日)

弁当箱1号続報

さくさくと簡単にできた[弁当箱1号]であったが、SparkFun SEN-10742 そのものに設計ミスがあり改修に時間がかかってしまった。

こちらのブログを参考に改修したもののうまく動かない。
あれこれ試していたらスイッチ回路に決定的な問題が見つかったのでここを改修し、併せてスケッチを見直したらうまく動くようになった。

できたての頃に[西東京市空中放射線量]にアップした数値は怪しげなので、先程測り直して修正しておいた。

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2012年5月11日 (金)

GPS 連動データロガー付ガイガーカウンタ 弁当箱1号

SUWANO をベースにした GPS 連動データロガー付ガイガーカウンタ、名付けて[弁当箱1号]。部品はかなり前から集めてきていたが、時間がなかったので GW に一気に仕上げた。散歩やサイクリングをしつつ空中放射線量とその位置情報・計測時を記録するという無精者専用機。

ただし、移動しながらの測定では表示されている計測値は直前の測定ポイントとの間の区間値となる。それでもトレンドが分かるし、何よりも膨大なデータを蓄積することが重要。

ここに[西東京市空中放射線量]として以下の条件で測定した計測結果がある。順次計測範囲を拡大していく予定。

・SparkFun SEN-10742 で測定した空中放射線量
・概ね地表から1mの高さで測定
・表示してある cpm値は TERRA MKS-05 の値を基に補正したもの

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2011年10月 2日 (日)

やっちまったよ、バカどもが

法務省の木端役人って奴らはホントにどうしようもない連中だと再認識。

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法務省は27日、東日本大震災で宮城、岩手両県の4市町で戸籍の正本が消失したことを受け、遠隔地の特定の法務局で市区町村の副本データをバックアップする新しい全国ネットワークシステムを来年度から構築する方針を決めた。
読売新聞 9月27日(火)14時32分配信
=====

以前、[国民的議論]の対象となった住民基本台帳ネットワークシステムを構築する際には、本人確認情報(氏名、生年月日、性別、住所、住民票コード及び変更情報)を保護するために総務省は住民基本台帳法を改正し、その[第四節 本人確認情報の保護]で事細かに禁止事項を明確に定め、違反した者に対する罰則を定めている。

一方、法務省は今回[バックアップネットワーク]を構築するにあたり、戸籍法の改正による戸籍情報の保護を一切していない。
当然のことだが、戸籍情報は住民基本台帳ネットワークシステムの本人確認情報よりはるかに重要度が高く、慎重な取り扱いが必要なだけでなく、情報漏洩という事態を極力排除しなければならない。そのためには、通信途上の情報セキュリティ対策を厳重に実施しなければならず、法律上の罰則を強化することでの抑止力も必要になる。

戸籍情報の漏洩と拡散は差別に直結するからである。

21世紀のこの日本で出自による差別が未だに色濃く残っていること自体、非常に嘆かわしいことであるが、現実として差別が残っている以上、こうした差別による不利益が生じないように行政は最大限の注意を払わなければならないことは言うまでもない。
しかし、法務省が戸籍のネットワーク化を言いだした時点から、こいつらはこうした注意を一切払わず今日に至り、震災時の戸籍情報の保護という名目で法改正による制度的裏付のないままLGWANという住民基本台帳ネットワークシステムよりセキュリティが劣り、運用面でも格段に信頼性が低下したネットワークを用いて戸籍情報をバックアップするという暴挙に出た。

また、LGWANはツリー構造のネットワークである。LGWAN全国センタが震災等の広域災害で機能を喪失した場合には、LGWAN全体の通信機能が麻痺する。つまり、遠隔地からのデータバックアップが期待できないということだ。
法務省はこうしたLGWANの構造的弱点を理解しているのであろうか。

法務省はもともと糞ったれだし、どのような協議をしたのか不明であるが、いずれにせよ戸籍情報の[バックアップネットワーク]としてLGWANの使用を認めた総務省も法務省に劣らない糞ったれだということだ。

[有効活用]云々の前に整理しなければならないことはたくさんあるだろう。そうした検討を怠ることで泣きを見るのはいつも国民じゃねぇか。
その意味では福島の原発事故と根は同じかもしれない。
強固な身分保障があるのだから、たとえ政治的圧力があったとしても、全体の奉仕者としての気概を見せろ。
そうでなければお前ら霞が関はゴミと同じだ。

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事故

ちょうど8週間前の8月7日、ツーリング帰路の中央高速上野原IC付近で強引な車線変更をしてきた糞単車を避けようとして転倒し、右鎖骨と胸骨の骨折、右肘挫創で8針、おまけに左膝の打撲という[重傷]を負い、単車は大破。右腕に関しては場合によっては切断の可能性もあったのだが、幸いにも今でもかろうじて付いている。
このところやっと両手でPCを操作することができるようになったものの、未だに完全な自由がない。時間をかけてリハビリするしかないな、こりゃ。

加害者からは未だに謝罪もなく、調書作成が終わったら警察での証言を翻し俺が追突してきたと虚言を言う始末。こんな糞野郎には淡々と確実に社会的制裁を与えてやるだけだ。余談だが、警察の民事不介入をいいことに虚言により逃げようとする加害者は少なくないようだ。警察も民事不介入により、結果として加害者を有利にしてしまう傾向がある。[加害者天国ニッポン]とはよく言ったものだ。

この調子だと示談もできず訴訟になる公算が高いし、そうなれば単車の修理が終わる頃には冬になってしまう。
今年のツーリングはもはや終わったと同じだ。

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2011年5月 8日 (日)

柳沢峠・・・・・

連休最後の日曜日。次回は何時走れるか解らないので、久々に柳沢峠に行こう。
が、とんでもなく不快なツーリングになった。

これまで台風や雹の直撃を受けたり、夏の熱風に焼かれ寒波の中凍えながら走ったことも多々あったが、辛いと感じても不快になったことはない。しかし今日のツーリングはこの爽快な空の下、これまでにない程の不快なままで終わってしまった。

新青梅街道では悉く信号につかまり、青梅から入った国道411号線では丹波山までのろまな車に前を遮られ、暫く快走できたものの気分が滅入っしまったので柳沢峠への峠道では思ったように単車をコントロールできなかったことが全ての原因。
つまり、思うように走れなかったということ。

柳沢峠から塩山へ至る道も以前の記憶と異なり趣がなく、このまま家に帰っても不快なままなので富士吉田に出て道志経由で帰ろうとコースを変更するも道志みちも意外とつまらない。不快感に浸っているのでつまらなく感じただけかもしれないが、こうなったらさっさと帰ろうと途中から都留に出て中央道で帰路に就いた。

ここんとこ燃費が向上しているのがせめてもの救いだ。

本日の走行距離 300.5km

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2011年5月 4日 (水)

嗚呼、坤六峠

よい天気だ。前回、気が変わってルートから外した坤六峠に行こう。

往路の関越は連休お約束の渋滞。下手糞が大勢繰出すので仕方がないのであるが、ここで浪費される時間とガソリンは無視できないなぁ。

沼田ICで降りて、後はお決まりのコースを淡々と走り、国道401号線から群馬県道63号水上片品線に入り坤六峠を目指したのだが、やけに雪が多く木々も茶色いまま。今年は雪が多かったんかいね、と考えながら鳩待峠との分岐点まで辿りつくと、坤六峠はまだ閉鎖との看板が・・・・・

しまった!記憶が1月ずれていた。去年来たのは5月末だったのか・・・・・

帰ろう。

こうなったら、再度赤城山に登って[自然落下]しよう。
時間とガソリンの浪費も甚だしい。自省。

本日の走行距離 379.5km

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2011年4月30日 (土)

坤六峠へ行くつもりが・・・・・

最近、初夏のお決まりになっている坤六峠へ出かけようと関越を走る。
この時期の坤六峠の片品側は、新緑間近の木々とまだ融けきらない残雪とが違和感なく美しく映える。この景色が好きだ。

が、走っていくうちに無性に赤城山に登りたくなった。
そんで昭和ICで関越を降りて、適当に走り始める。赤城山の山麓はようやく桜の季節を迎えたようで、桜並木が歓迎してくれているかのようだ。
しかし、この道、行き止まり。
ある程度来た道を戻り、山麓を周回していれば知っている道に辿り着くだろうと高をくくって走っていたら、またしても行き止まり。
久々に迷子になった。

やっとの思いで群馬県道251号沼田赤城線に出ることができ、大沼を目指す。しかし、標高1345mの大沼界隈は下界と異なり結構冷える。あまりにも寒いので早々に撤収し、群馬県道4号前橋赤城線をひたすら下ることにした。

ここで、お遊びとしてエンジン停止状態で何処まで走れるか試してみた結果、前橋市の中心街近くまで、22km[自然落下]することができた。
途中、車と単車を数台追い越したが、エンジン停止状態の単車に追い越される車や単車は考えさせられる存在だ。

まだ時間がある。久々に鉢形城に寄って帰るとするか。

鉢形城は近年の発掘とそれに基づく整備で小ざっぱりした[公園]の如くなっている。
遺跡の状態が解りやすく、行き過ぎた復元もないのでこれはこれでよいのだが、初めて訪れた当時の草ぼうぼうの状態から往時を夢想する楽しみは奪われてしまった。
鉢形城歴史館では特別展もしており、それなりに堪能したので、これで帰ろう。

帰路、関越が川越ICを頭に大渋滞している。原因は川越IC手前の[登り坂]。上り坂でスローダウンするような下手糞は頼むから運転免許を自主返上してくれ。

本日の走行距離 324.7km

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2011年4月29日 (金)

今更ながらの初詣

実は、今年はまだ初詣に行っていない。今更行ったところで話にならないのだが、ちょっとした不幸もあったのでやはり詣でておこう。
ということで、毎年3月下旬には詣でていた國王神社に一月遅れで出かけることにした。往路はあえてお決まりのコースにする。

外環で若干の渋滞があった以外は快調に走れたので、すんなりと國王神社に到着。
考えてみれば、初夏の時期に國王神社を訪れるのは初めてかもしれない。境内の新緑は透き通るような緑で命の息吹を感じる。そうだよね、失われるものがあるのと同時に、新しく生まれてくるものもある。その繰り返しの中で、どれだけのことができるのか。失われた命を引き継いでいかないとな・・・・・

國王神社を出て茨城県道20号結城坂東線を結城方向へ走りだすと、暫くして信号につかまる。あたりを眺めていると、まさかの場所に高所ドアがある。この道はかれこれ少なくとも30回は走っているので、トマソンはないものと見なしていた。したがって、今日はカメラなんか持っていない。採集することができなかった。
実際には至る所に見落としがあるらしい。まぁ、あたりを詳しく見渡しながら走っていたら事故するだけなので当然だろう。

結城から国号50号線に入り、道の駅思川で用を足した後に例幣使街道(栃木県道36号岩舟小山線)に入る。結城・足利間の国道50号線は立体交差が多く巡航するだけなら快適だが、いかんせん景色が単調で面白くもなんともない。やはり旧道は風情があり変化に富んでいるので走っていて楽しいものだ。

足利のはずれで国道50号線を離れ、墳墓の地である県郷経由で太田に出て、後は東松山経由のお決まりのコースで帰宅。所沢界隈で短時間にわか雨に晒されたものの、天気も良く風も穏やかで絶好の日和であった。
初夏の日差しの中、田起こしをしている水田を横目に見ながら巡航していると、空に吸い込まれてしまいそうな、こんな気分は滅多にない。

本日の走行距離 249.7km

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2011年4月17日 (日)

今年の初乗り

昨年(2010年)の11月に小笠神社まで走って以来、忙しいの寒いのと言い訳を繰り返した揚句、3月11日以降のガソリン枯渇で暫く動けなくなってしまった。ほんで今日、5ヶ月ぶりかつ今年初めてのツーリングとなる。
単車はもちろん、人間も併せてのならし運転でもあるので、特に目的地はない。中央道で長坂まで行って、軽井沢経由で帰ってこようと言う程度。

5ヶ月間ほったらかしにしていた割にはエンジンは快調、天気もいいしなかなか良いツーリングだった。

明日からまた仕事だ・・・・・

本日の走行距離 380.7km

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2011年4月16日 (土)

そろそろ原発をやめようか

バカな政治家とマヌケな官僚、無責任でアンポンタンな東京電力のおかげで最悪の原子力災害が発生してしまい、この国には核をコントロールする実質的な能力が欠けていることが明らかになった。
このような人災は二度と起こしてはならないのであるが、そのためにも原子力利権と癒着した政治家や官僚に原子力政策を白紙委任することなく、国民が自ら考え行動することが今まで以上に必要になってきているに違いない。

そのために、そもそも地震多発地帯の日本列島に原子力発電所を建設しなければならないほど電力が不足しているのかという初歩的な検討をしてみた。

検討に当たり、電気事業連合会が公表している電力統計情報からデータを拝借してグラフ化したものがこれ。電気事業連合会は10電力会社(北海道・東北・東京・中部・北陸・関西・中国・四国・九州・沖縄)で構成されているため、当然ながらデータに反原発的なバイアスはない。

このグラフから、全国的には1997年以降、最大電力が原子力発電を除く電気事業用最大出力を越えたことがないため、水力と火力の各発電所の定期点検時期を調整すれば、全ての原子力発電所を計画的に停止させ廃止することが可能となることが解る。念のために言っておくが、最大電力は消費電力が最大になった時の電力で、日本では概ね7月中旬から遅くても9月上旬までの間に生じるもので、年がら年中これだけの電力を消費しているわけではない。
確かに、水力と火力の合計最大出力と最大電力との差は僅かであり、現状の生活を是とするのであれば段階的にせよ原子力発電所を閉鎖していくことは難しいかもしれないが、日常的な節電の強化はもちろん、終電の早期化、24時間営業やネオンサインの規制により生じた夜間の余剰電力を揚水発電に振り向けることにより、20年もすれば全ての原子力発電所を閉鎖することは十分可能だろう。
火力による二酸化炭素排出を懸念するのであれば、並行して火力から自然エネルギーへの転換を進めていけばよい。

たとえ原子力発電所が[安全]だとしても、そこから出た放射性廃棄物の管理は長期間にわたり、今すぐ原子力発電所を閉鎖してもこれまでに作られた[核のゴミ]は、俺たちが死んでも子や孫たちが受けつでいかなければならないことになる。彼らは自らの意思で[核のゴミ]を造り出したわけではない。
しかも震災でいとも簡単に想定が崩れる。
これ以上放射線を浴び放射性物質を体内に取り込むのが嫌ならば、何をしなければならないかは明らかなはずだ。

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2011年3月26日 (土)

アブラカタブラの木

学校の砂場にはアブラカタブラの木が生えています。
アブラカタブラの木から採れる樹液で作ったジュースはとても美味しく、クラスのみんなは給食のときに出されるこのジュースが大好きで、今では給食のときに欠かすことのできないものになっています。

実は、カルタゴ君、ピラミッド君、大佐君達や、以前石油君の執拗ないじめで自殺したバビロン君も含めた砂場のお友達はこの木を大切にしていて、毎日樹液を採っては教室まで運んでいました。

ヒノモト君の隣に住んでいる学級委員の風珍君は以前から砂場のお友達と仲良しで、今回の石油君たちの振る舞いを苦々しく思っていました。

風珍君は大佐君から

「お願いだから石油君たちを何とかして」

と相談されてので、砂場のお友達の話を聞いてみると、石油君がアブラカタブラの木を独り占めしようとしていることに気がつきました。

砂場のお友達は

「そんなことされたらジュースをみんなで飲めなくなるよ」
「独り占めなんてやめさせてよ」

と口々に言います。

賢い風珍君は考えました。

「アブラカタブラの木を独り占めにしたいのなら、石油君の最終目標は王様だな」

王様は、砂場のお友達の中で一番のお金持ちです。

石油君の子分拡大は効果てきめんで、クラスのみんなは石油君からの仕返しが怖くて石油君に同調したり見て見ぬふりをしています。
ヒノモト君がお漏らしをしたおかげで、ウランちゃんシンパは影をひそめてしまいました。
唯一、愉快なキャベツ君は石油君の振る舞いを大声で非難しますが、彼が言うと真面目な話も冗談にしか聞こえず、影響力はほとんどありません。

ちょうどその時、先生が5人の学級委員を呼んで、

「みんなで話し合いなさい」

と言いました。

学級委員は、仏君、紳士君、風珍君、華ちゃんと石油君のポチになり下がった小浜君の5人です。
小浜君は石油君の言う通りに仏君、紳士君とつるんで、

「大佐君は悪い子だから制裁しなければならない」

と言いはります。

風珍君と華ちゃんは

「とにかく暴力はいけない」

と譲りません。

このクラスの学級委員会は、議決のときに一人でも反対意見を唱えると何もできないルールになっています。
風珍君は大佐君への[制裁]に反対することもできましたが、反対しようとする華ちゃんを説得して議決のときに2人で棄権してしまいました。

実は、風珍君の家にもアブラカタブラの木があり、砂場の木が石油君に独占されても痛くもかゆくもありません。
そればかりではなく、風珍君はクラスのみんなに自分ちのアブラカタブラの木から取れたジュースを分けてあげることでみんなを味方に付け、石油君を孤立させてしまおうと考えたのです。

アブラカタブラの木を巡る水面下の駆け引きの行方はどうなるのでしょうか?

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2011年3月25日 (金)

石油君の陰謀

ある日、ウランちゃんに好意を寄せるゴア君は言っちゃいました。

「地球温暖化の原因は石油君が出す二酸化炭素だ」

頭がよくてクラスで人気者のゴア君のこの一言がきっかけで、石油君はいじめを受けました。
海水浴に行った時、ウランちゃんシンパの嫌がらせでお漏らしをしてしまい、海岸線を汚してしまったこともあります。

石油君は思いました。

「仕返ししてやる」

でも、乱暴者の石油君は知的なゴア君には到底かないません。

石油君は考えました。

「僕より弱いウランちゃんの仲間をいじめてやる」
「そのためには仲間が必要だ」

暫くたったある日のこと、石油君は仏君を誘い、

「僕たちの子分をもっと作ろう」

と、砂場で遊んでいたカルタゴ君とピラミッド君に

「お前達は悪い奴だ」

と因縁を付け、易々と子分にしてしまいました。

今度はカルタゴ君の隣にいた大佐君も子分にしようとしましたが、大佐君はなかなか子分になりません。
力ずくで子分にしようにも周りの目が気になります。
そこで、もともと石油君の子分なのに最近[おこづかい]を持ってこないだけでなく、ゴア君の一言でウランちゃんシンパになったヒノモト君に仕返しも兼ねて揺さ振りをかけました。

お金持ちで優等生だけどおとなしいだけが取り柄のヒノモト君に何か問題が起これば、みんなの関心はヒノモト君に向けられます。
その隙に大佐君を力づくで子分にしてしまえという魂胆です。

友達(親分)だと思っていた石油君に不意に揺さ振られたヒノモト君はパニックを起こして泣きわめき、お漏らしまでしてしまいました。
こうなれば、みんなの関心は石油君の考えた通りヒノモト君に向けられます。

石油君と仏君は納豆君まで巻き込んで、子分になるように本格的に大佐君に暴力を振るっています。

石油君の陰謀はこの後どうなるのでしょうか?

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2010年12月24日 (金)

新座市高所ドア

運動不足解消のため、西武池袋線保谷駅を越え、新座市野寺方面へ赴いた際、八石小学校の界隈で採集したブツ。
風通しのためか、ドアがかすかに開いている。

新座という地名の由来は[新羅]。この地域に新羅の遺民が多く住んでいたそうだ。
そもそも保谷の地は新座郡、田無は多摩郡に属していたこともあり、未だに合併に違和感がある。

No.542(埼玉県NO.4) 新座市高所ドア
場所 埼玉県 新座市 野寺2丁目14
日時 2010‎年‎12‎月‎12‎日 ‏‎13:49:24
10121201

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2010年12月23日 (木)

練馬区高所ドア(9)

西武新宿線武蔵関駅界隈に用事ができたので、石神井川沿いの道を武蔵関駅方面へ歩いていた時に採集したブツ。
取り壊された建物が何であったのか全く記憶にないが、壊されたおかげで日の目を見ることができた。次の建物ができるまでの期間限定版。

No.541(練馬区NO.24) 練馬区高所ドア(9)
場所 東京都 練馬区 関町北2丁目30
日時 2010‎年‎11‎月‎28‎日 ‏‎15:21:42
10112801_2

 

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2010年11月 6日 (土)

高崎市高所ドア

原爆タイプを採集後、たらたら走っていると正面に高所ドアがある。ここは国道254号線が緩いカーブをしているため、高所ドアが進行方向正面に位置していた。おかげで遠くから確認することができた。

No.540(群馬県NO.29) 高崎市高所ドア
場所 群馬県 高崎市 吉井町 小串
日時 2010年10月17日 15:57:58
10101705

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高崎市原爆タイプ

関越道が本庄児玉ICから嵐山小川ICまで渋滞しているとのことなので、下仁田ICから上信越道に入らずに藤岡目指して国道254号線を走行中に目に飛び込んできたのがこれ。
極度の近眼と乱視にも関わらず逆動体視力はお墨付きだ。

No.539(群馬県NO.28) 高崎市原爆タイプ
場所 群馬県 高崎市 吉井町 長根
日時 2010年10月17日 15:44:54
10101704

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佐久市原爆タイプ(3)

長野県道144号本町中込停車場線が小海線と交差するすぐ近くに発生していたブツ。
ホント、この道はこれまで十数回走っているのだが、最近発生したのかこれまで未発見のもの。

No.538(長野県NO.48) 佐久市原爆タイプ(3)
場所 長野県 佐久市 平賀
日時 2010年10月17日 14:18:12
10101703

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佐久市ヒサシ

以前、国道141号線の旧道を気まぐれでこれまでとは逆方向(これまで北上のみだったのをこの時は南下)から走った際に見つけておいたもの。
長距離ツーリングで同じ道を往復することはほとんどないので、未発見のブツもかなりあるんだろうな。

No.537(長野県NO.47) 佐久市ヒサシ
場所 長野県 佐久市 臼田
日時 2010年10月17日 13:56:18
10101702

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南牧村高所ドア

国道141号線の海ノ口界隈で幾度か小海線の車窓から確認していたものの、一時期行方不明になっていたブツ。
今回、久々に佐久方面に足を延ばしたので採集した。

No.536(長野県NO.46) 南牧村高所ドア
場所 長野県 南牧村 海ノ口
日時 2010年10月17日 13:21:10
10101701

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2010年11月 5日 (金)

遠江国小笠山砦

高天神城攻略のために徳川家康が築いた6砦の1つとされる。
いまいち遺構がはっきりしないが、縦掘でしっかり要所要所を遮断しており、馬出状の遺構もある。

高天神城の監視と武田方の兵站を遮断する目的で築かれた臨時的な施設とも言えるので、遺構が明瞭でないのはある程度粗く築かれた結果だろうが、もう少し説明板を増やしてもいいのではないか。

No.403(静岡県NO.31) 小笠山砦
場所 静岡県 掛川市 板沢
日時 2010‎年‎11‎月‎3‎日 ‏‎10:04:48(主郭) 10:08:14(堀切)

小笠山砦主郭、堀切
Photo_3 Photo_4

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遠江国掛川城

カメラ(Nikon D90)のレンズにカビが生え、ラフに使っていることもあり光軸もおかしくなった。当然、修理に出してカビの除去と光軸の修正をした。修理の間は城攻めは中断し、修理後も単車のトラブルや仕事で城攻めどころではなくなり、とうとう11月になってしまった。
昨年挫折した小笠神社に今年こそは行こうと決意し、ついでに掛川城の攻略を目指す。

掛川城は貴重な二の丸御殿が現存する一方で、遺構は都市化のなかでかなりの部分が破壊されている。その意味では、本丸御殿が現存していても他の遺構がほぼ消滅した川越城と同じ運命を辿ったようだ。
土の城は破壊に対して特に脆弱だし。

No.402(静岡県NO.30) 掛川城
場所 静岡県 掛川市 掛川
日時 2010‎年‎11‎月‎3‎日 ‏‎8:07:48(天主) ‏‎8:09:56(太鼓櫓)

掛川城天主、太鼓櫓
Photo Photo_2

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2010年11月 4日 (木)

小笠神社、何をしに来たのやら

6:30起床で朝飯を詰め込み、7:30過ぎには掛川城に向かう。5分も走らないうちに大手門(1995年6月復元)に到着。
ここから天主(1994年4月復元)が良く見える。三の丸横に単車を留め、まだ訪れる人もいない朝の掛川城を堪能しよう。

時間をかけて一巡したら、9時を若干過ぎている。掛川城から小笠神社までは30分もかからないので、どうせなら天主も見ておこう、と入場券を購入。
木造でほぼ忠実に復元された天主はいいものだ。100年もすれば、これはこれで価値が出てくるかもしれない。

暫し快走し小笠神社へ。
まだ10時前で矢矧祭は始まっていないが、皆定位置に着いている。始まる前に周りを物色しようと神社の裏山に向かうと、ここが小笠山砦であることを示す表示板がある。おかげでこの一帯が小笠山砦であることを初めて知った。当然、小笠神社も城域に入ることになる。小笠山一帯が城郭として機能していた戦国時代、矢矧祭は当然中断していたよな、そもそも神社自体がここにあったのか、と写真を撮りながら考えていたら、空砲の音が数発。どうやら矢矧祭が始まったらしい。

本来の目的は矢矧祭の見物ではなく、宮司から縣氏の伝承を根掘り葉掘り聞き出すことなのだが、あたりまえだが宮司は矢矧祭の進行役であり、取りつく島もない。神楽の奉納が終わると参拝者に矢が配られ、御輿と共に小笠奥宮神社に向い神楽の奉納後、各々矢を刺して矢矧祭は終わる。チャンス到来と宮司に接近を図るも狭い山道、なかなか前に出ることができない。そうこうしているうちに宮司は社務所に入ってしまう。

ちょうど昼になり、関係者には弁当が配られ、社務所の中を覗き込むとどこかの県議会議員だか市議会議員のような胡散臭いオヤジ共と歓談しているではないか。

諦めた。

今年も不発だ。帰ろう。

小笠山を下り静岡県道251号袋井小笠線に出るが、天気もいいし時間もあるので御前崎まで走ることにした。御前崎港で一息入れ、その後は相良牧之原ICを目指し、東名道で帰宅。
小笠神社と縣氏の関係に関しては調査方法を再考しよう。

11月3日の走行距離 285.0km

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2010年11月 3日 (水)

小笠神社、再び

小笠神社には去年(2009年)の6月13日に行ったきり。しかも11月3日の矢矧祭には行くこともできなかった。
今年こそ、縣下野守と縣下野入道との関係や、小笠神社に伝わる縣氏の伝承とこちらの下野縣氏との関係を確かめたいので万難を排して矢矧祭に行くことにした。

矢矧祭は10時から始まる。小笠神社までは単に走るのみなら3時間もあれば何とかなるので日帰りも可能だが、ついでなら掛川城にも行きたいし、高天神城も以前攻略したものの武田氏により拡張された西峰のみで、今川・徳川時代の東峰は旧態依然とした縄張りであるとの理由で省略したこともあり、ここにも行きたい。
したがって、11月2日から3日までの1泊2日としよう。
てな訳で、11月2日は午前中までに当面の仕事にけりをつけて昼前に出発したのだが、結果これが仇になった。

用賀ICから東名道に入り高速は面白くないわいと例の如く愚痴を言いつつ淡々と走り、掛川ICで降り高天神城には15時過ぎに着いたのだが、城址に入ると木々が生い茂り、ただでさえ日が傾いている状態に拍車をかけている。カメラのシャッタースピードも1/40秒以下がほとんどで、目いっぱい絞りを開けても1/5秒という場所もある始末。やはり朝一で出かけるべきだった。
東峰から西峰と城址を一巡して駐車場に戻ったら既に薄暗くなっている。夜間走行は嫌なので早くホテルに入ろう。

明日は掛川城を攻略してから小笠神社だ。

11月2日の走行距離 255.9km

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2010年10月17日 (日)

久々の佐久

やっと秋らしくなった。
速度計のトラブルはケーブルの破断で、ケーブルの交換だけで済んだ。
単車のエンジン不調も解決はしていないものの、対症療法で何とかなる目途もたったので、テスト抜きのツーリング兼ブツ採集に出かけよう。

辿るは佐久経由のお決まりのコースだが、いつもは中央道の須玉ICで降りて国道141号線に直接入るところを、今回は長坂ICで降りて山梨県道28号北杜八ヶ岳公園線を北上するコースにした。結局は清里で国道141号線と合流するのだが。

野辺山を越え、海の口で小海線を越えたところで最初のブツを採集。このブツは以前小海線の車窓から見つけていたものの、なかなか佐久方面に足を延ばす機会がなく採集が延び延びになっていたもの。

お次は佐久市に入り国道141号線が旧道と臼田バイパスに分岐する(逆から見れば合流だが)界隈にあったブツを採集。これで今日の採集目的は終了。後はのんびり帰ろう。

しかし、国道141号線旧道から長野県道144号本町中込停車場線に入り小海線の踏切を超すとブツがある。ここは十数回走っているはずだが、今まで発見できていない。最近できたものだろうかと、思案を巡らしつつ採集。

普段なら、この後は内山峠を越えて下仁田ICから上信越道に入って、となるのだが、下仁田IC直前で関越道が本庄児玉ICから嵐山小川ICまで渋滞しているとの表示が。であれば、国道254号線で花園ICまで行くべぇ、とトコトコ走り出したら吉井界隈で原爆タイプ高所ドアを採集できた。

その後は淡々と走り、花園ICから関越道に入り無事帰宅。
しかし、気温が生暖かくても17時を過ぎると暗くなる。視力が低下したせいか満足に見張りが効かない。やはり夜間走行はダメだ。

本日の走行距離 366.0km

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2010年10月12日 (火)

沼田市高所ドア

沼田の市街地に入って、5月に発見した原爆タイプを探すもなくなっている。
こちらは5ヶ月の間に再開発されて姿を消してしまった模様。やはり、発見と同時に採集しておかないとダメだ。

No.535(群馬県NO.27) 沼田市高所ドア
場所 群馬県 沼田市 上之町
日時 2010‎年‎10‎月‎11‎日 ‏‎14:58:36
10101102

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みなかみ町高所ドア

みなかみ町界隈は以前発見した(つもりの)ブツをロストするも新たなブツを発見するというおかしな現象が続いている。
今回は5月に発見した(つもりの)ブツを完全にロストしたにも関わらず、走行中になんとなく後ろを確認したら目に入ってきたのがこれ。

No.534(群馬県NO.26) みなかみ町高所ドア
場所 群馬県 みなかみ町 上牧
日時 2010‎年‎10‎月‎11‎日 ‏‎14:30:48
10101101

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2010年10月11日 (月)

再び、坤六峠へ

今年(2010年)5月に坤六峠を走った際に発見したブツを採集しようと、またしてもテストを兼ねて久々に坤六峠へ。
多少気温は高いが、ほぼ快晴で秋らしい青空が広がっている。関越道も渋滞がない。気分は非常に良い。

例の如く沼田ICで関越道を降り、国道401号線と群馬県道63号水上片品線との分岐点までは若干エンジンが重い感じがする以外は淡々と走ることができた。

群馬県道63号水上片品線界隈は紅葉にはまだ早いものの、秋の訪れを知らしめているように木々の梢は既に色をなしている。10月末には本格的な紅葉になるのだろうが、この時期には車だらけで趣もへったくれもなくなるだろうな。

坤六峠を越えた時点で、エンジンは問題なく動いている。これで、これまでのトラブルが夏場に標高1000m級以上の急勾配の登り坂という条件で発生することが確定した(坤六峠は1620mで急勾配の登り坂)。

みなかみ町のブツはなぜかロスト。痕跡もない。替わりに新たな高所ドアを発見したが。

その後、沼田の市街地に入る直前で速度計が破損。針が全く動いていない。速度計は必須のパーツではない(車検はさておき)が、これがなくてはメンテナンスの目安がわからなくなる。実は、速度計は10年程前にギアボックスが粉砕して一時期使えなくなったことがある。またやってしまった。最近はいろんなとこがよく壊れるわい。

沼田の市街地で発見したブツもなくなっている。これまた替わりのブツを発見し、結局目的を達成したようなしてないような・・・・・

単車はまた入院した。

本日の走行距離 速度計破損につき不明(概ね400km)

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2010年9月12日 (日)

テスト

1000mの標高でも先週と同様の現象が起きるか確かめるために箱根まで行ってきた。

東名から小田原厚木道路に入り国道135号線で湯河原へ。この間やや重いが特段問題なし。
湯河原からは神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線で箱根を目指す。このタイトな道なら症状が出やすいと考えた。

登り始めると最初のうちは全く症状が出ない。これはこのまま行けるかな、と考えたが、航空路監視レーダ付近(標高860m)で再発症。その後は先週の富士山程ではないにせよ息絶え絶え状態になり国道1号線で三島まで降りて幾分緩和するも調子が戻らない。

当初は足柄峠経由で帰るつもりだったのだが、この状態ではエンジンが止まる危険もあるので御殿場ICから東名に入り帰宅。今回も先週同様横浜ICを過ぎる頃には復活したが。

夏場に標高1000m級以上の急勾配の登り坂という条件で発生することがほぼ確定。
湯河原界隈は石橋山古戦場や土肥城があるので涼しくなったら同じコースを辿ろう。それで原因が100%確定するだろう。

本日の走行距離 282.6km

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2010年9月 5日 (日)

再び富士山へ

単車は無事退院。トラブルの原因となったレギュレータとへたったバッテリーを交換したのみで事なきを得た。
で、先週断念した富士山周回に挑む。

中央道では何ら問題がなかったが、河口湖ICを降りたとたんにエンジンに軽い異変が・・・・
またかいな、と思いつつも、若干重く感じるだけで走行には支障がないのでそのまま国道139号線を西に向かい、完全な快走ではないものの、それなりに気分良く走り表富士周遊道路(富士山スカイライン)に突入。静岡県道180号富士宮富士公園線はそれなりの坂が続くも何なく走れたのだが、静岡県道152号富士公園太郎坊線に入り暫くするとエンジンが無茶苦茶になり、富士宮口新五合目パーキングの200m手前でダウン。

レギュレータとバッテリーは交換したばかりなので、これは原因にはならない。1年前の8月今年7月の同様のトラブルと状況を比較すると、

 気温が高い
 高度2000m前後
 急勾配の登り坂

という共通点がある。

気温が高く高高度で空気密度が減少している状態での急勾配の登り坂によるパワーダウンてか。
去年の10月に渋峠を登った時は何ともなかったわけだし。
来週箱根峠の界隈(最高地点で970m)で再現するかテストしてみよう。問題なければ疑わしきはキャブレターだ。

帰路は御殿場に出て国道138号線で河口湖に向かおうとしたが、ものすごい渋滞で前に進めない。断念して東名道で帰宅した次第。富士山周回は今回も不発に終わった。
単車は横浜ICを過ぎる頃には復活してその後問題なく走り終えている。

本日の走行距離 323.7km

見上げたもののこれではどこの山かわからん(富士宮口新五合目)
Photo

富士宮口新五合目から下界を見下ろすも雲海のみ
Photo_2

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2010年8月31日 (火)

保谷市高所ドア(11)

8月27日にたまたま通りかかったら、これまで建物に挟まれていてはっきりと見えなかった高所ドアが片方の建物が取り壊されたために露出していた。
この区画は西武池袋線保谷駅南口の再開発で次々と旧来の建物が取り壊されているので、早く採集しておかないといずれ消滅してしまう。以前、近くにあった高所ドアもサボっていたら採集する前に消滅してしまったし。

というわけで、早速採集。

No.533(保谷市NO.38) 保谷市高所ドア(11)
場所 東京都 保谷市 東町3丁目14
日時 2010‎年‎8‎月‎29‎日 ‏‎8:25:40
10082901

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2010年8月29日 (日)

回路壊れ重体に

8月になってから忌々しいほど忙しい。土日まで仕事する羽目になって休暇どころではない。
この御時世、仕事がないよりあるのがましなのだが、それにしても嫌になる。

当然、8月に入ってからツーリングもしていないし、買い込んだ本も読んでいないし、先祖探しの再開も断念。
そうは言っても8月最後の日曜日だし、富士山にでも行こうとしたのだが・・・・・

セルが効かない。
バッテリーには異常がないようなので、押しかけたらすぐにエンジンは作動。
走り出したら快走するので、セル以外は無事のようだ。

行きがけの駄賃で西武池袋線保谷駅南口のブツを採集してからガソリンを給油したのだが、異常なほど燃費が悪い。セルもダメになり、この燃費。嫌な予感もするが、特段おかしなところもないのでそのまま中央道に入った。

中央道に入ったものの、加速が重い。1~2気筒死んでいるような、そんな重さ。
やばいと思ったら案の定、石川PAの手前で一定速度で走っているにも関わらずタコメータが振れ始め(走行自体には影響がない)、その後上り坂になると小刻みにエンストを繰り返し(アクセルワークでまだ何とかなる)、小仏トンネルに入った直後にエンジンが完全停止(終わった!)。
点火系の回路がやられたな、こりゃ。

これはもはや富士山どころではない。相模湖ICで中央道を降り、騙し騙し帰路を急いだが、状況は徐々に悪化していく。
ついに京王線中河原駅北方で力尽きた。

単車を安全な場所に避難させ、行きつけのバイク屋に連絡して取りに来てもらうことにしたのだが、既に20年経った我がFZR400RRSP、部品の在庫がなければどうする。
オークションを物色するか?

本日の走行距離 97.4km

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2010年7月19日 (月)

夏来りて熱風の中

実は、先月6月18日に会社(株式会社KDC)を興して代表取締役になっちまった。柄でもないし、未だ実感がない。
今更ながら、まぁ、一応、報告というかなんというか、どうせ盆や彼岸には行きゃしないのだから今のうちに行っておこうと墳墓の地である足利の県郷へ。
自らの欲望に負け佐久方面と金精峠のツーリングを優先させた結果、順序が逆さまになってしまったが、何もしないよりましだろう。
ただ単に足利との往復をしてもつまらないので、まずは國王神社へ。

夏のツーリングが一番好きだ。
空はあくまでも蒼く、風が踊りながら通り過ぎていく中を走り抜ける快感はこの時期にしか味わえない。

國王神社から結城に向かい、国道50号線で一気に足利へ。
この国道50号線は普段はつまらん道だとブツブツ言いながら嫌々走るのだが、今日のような夏の日に走るとそれだけで気分が違う。楽しいに尽きる。
自然治癒したわけではないが、エンジンは多少回復している。

足利市県町の浄徳寺に着。
ここには、一族の期待を集めるもわずか21歳で夭折したじいちゃんの長兄の墓標もあるが、どんな思いだったのだろうか。
炎天下の墓標は何も語らず、ただそこに屹立するだけ。
それだけなんだけど、何か得たようなそうでないような、頑張るしかないよな、俺も。

その後は前橋経由で帰るつもりが途中で国道17号上武道路に入り国道17号深谷バイパスで熊谷に出て、その後寄居経由でと考えるも途中で気が変わり、埼玉県道69号深谷嵐山線で東松山に出るという、またしても気紛れなルート変更。
こうした気紛れができるからソロツーリングは良いものだ。

本日の走行距離 274.5km

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2010年7月18日 (日)

梅雨過ぎて・・・・

夏本番となったわけで、前回の気まぐれでボツになった金精峠に行こう!

と張り切って出かけたものの、関越に入った直後から花園IC過ぎまで渋滞。しかしながら、車は完全に動かなくなっているわけではなく多少は流れていて、車の合間を60~70km/hで走れたのから苦痛ではなかったが。

沼田から金精峠に向場合、国号120号線の椎坂峠界隈の渋滞やのろまな車を避けるために、これまではもっぱら群馬県道64号平川横塚線を使って迂回していたのだが、今回は薗原湖経由で南側を迂回してみることにした。
昭和ICで関越を降り、群馬県道62号沼田大間々線経由で薗原湖へ。暫く北上すると国道120号線と合流する。かなり快適なルートだ。

その後淡々と金精峠に向けて走らせるが、勾配がきつくなるにつれエンジンの調子がおかしくなる。またかぶったんですかね。そんなに変な操作はしていないのだが。

金精峠からは日光には向かわず、国道122号線で大間々に出て足利経由で帰ろうとしたのだが、何を間違えたのか途中でガス欠!トリップメータが動いていたか。すぐ近くにガソリンスタンドがあったから事なきを得たが、ガス欠なんてこれまでなかったよな、確か。
もう嫌だ。エンジンの調子も悪いし、太田経由で帰ろう。

結局、エンジンは帰りに関越を走っている時に多少良くなったものの、結局不調のまま帰宅。

本日の走行距離 412.6km

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2010年7月11日 (日)

保谷市結界

新青梅街道との交差点近くでまた発見。
ここは頻繁に通るとこだが、今まで何でわからなかったのか理解できん。

No.532(保谷市NO.37) 保谷市結界
場所 東京都 保谷市 本町5丁目7
日時 ‎2010‎年‎7‎月‎4‎日 ‏‎14:36:22
10070405

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田無市○型

田無市凹型(4)のすぐ近くにあったブツ。何が抜かれた跡だ?

No.531(田無市NO.8) 田無市○型
場所 東京都 田無市 谷戸町3丁目13
日時 ‎‎2010‎年‎7‎月‎4‎日 ‏‎14:15:24
10070404

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田無市凹型(4)

暫く歩くとまたブツを発見。
この道はよく歩くのだが、今まで全く気がつかなかった。見ているようで見えていないものがたくさんあることの証。

No.530(田無市NO.7) 田無市凹型(4)
場所 東京都 田無市 谷戸町3丁目15
日時 ‎2010‎年‎7‎月‎4‎日 ‏‎14:13:32
10070403

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田無市凹型(3)

無事、大泉堀の遡上が終わり、西武池袋線ひばりが丘駅の南方から帰宅する途中で立て続けに物を発見。
最近、目線が下方に向かうせいかこんなもんをやたら見つける。

No.529(田無市NO.6) 田無市凹型(3)
場所 東京都 田無市 谷戸町3丁目20
日時 ‎2010‎年‎7‎月‎4‎日 ‏‎14:08:16
10070402

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保谷市高所無用ドア

今日(7月4日)、また天気予報に騙される。昼過ぎから降雨の予報だったのでツーリングを控えたのだが、降りゃしない。
最近散歩していないので、カメラ片手に歩きだすことにした。

とは言っても目的地があるわけでもなく、適当に大泉方面に向かい、結果として西武池袋線の大泉学園駅に着いてしまった。そんじゃ、てことで、大泉学園駅の北西で白子川に合流している大泉堀(保谷原住民にとってはこちらも白子川なのであるが)を遡上しよう。大泉堀は全域コンクリートの蓋で暗渠化されているので容易に遡上できる。

遡上しつつ、練馬区から保谷市に入ったあたりで発見したブツがこれ。

No.528(保谷市NO.36) 保谷市高所無用ドア
場所 東京都 保谷市 下保谷3丁目3
日時 2010‎年‎7‎月‎4‎日 ‏‎13:42:56
10070401

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2010年7月10日 (土)

梅雨の合間の命の洗濯

朝からまるで夏本番!
こんな日に家に閉じこもっていられるかい。

この1ヶ月、季節は梅雨だし、車検もあって走ることができなかった。明日は梅雨空に戻るだろうから今日は走りまくるぜぃ。
とは言うものの、さてどこに行こうかと思案した揚句、金精峠に向かうことにしたのだが、関越を走っていると気が変わり、軽井沢に目的地変更。
ところが碓井軽井沢ICを降り損ねて佐久ICまで走る羽目になろうとは・・・・・

しかし、普段なら苦行以外の何物でもない高速走行が今日に限って楽しい。エンジンの伸びも極めてよい。車検ついでにリアブレーキ周りを交換したこともあるのだろう。何せブレーキパッドが妙な片効きをして奇怪な減り方をしていたもんな。
走ることがこれほど楽しいのは久しぶりだ。

佐久から清里に向かう途中、馬流にある[秩父暴徒戦死者之墓]に寄り道。
[暴徒]ねぇ。権力者にとって都合が悪い連中、その中でも、まともな生活を求めるために時の権力に立ち向かった連中は全て[暴徒]になるのだろう。あえてそのように碑に刻むことしか許されなかった遺族や関係者の心境はいかがなのもであったか。
ただ、彼ら秩父困民党の生きざまは、同じ時期のパリ・コミューンの戦士たちと重なる。

まともな生活を手に入れるため、自由のために多くの人々が犠牲になり、その結果やっと手に入れることができた日本国憲法。しかし、第25条で生存権の保障が国家の責務とされているにも関わらず、小泉や竹中をはじめとする国賊によってなきものにされようとしている。
今回の参議院選挙も衆愚は踊らされ国賊を議員に選ぶんだろうな。国民は自分以上の政治家を選ぶことができない。今の政治腐敗・不信は全て国民そのものの反映に他ならない。自分たちそのものが腐っていることを自覚しない限り、政治が良くなるはずがない。

明日の選挙で、まともな候補者を国政の場に送らなければ。

本日の走行距離 380.0km

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2010年6月22日 (火)

祝! 20歳

FZR400RRSP が今日で20歳となる。

今まで気が付かなかったが、6月22日は1941年に独ソ戦が開始された日でもある。
なんという因果か。

昨日までの走行距離は 176,648.1km、赤道を約4.4周したことになる。
さすがバブル経済の賜物、部品の品質が高いおかげで抜群の耐久性を示した。

いろいろな備品が供給されなくなりつつあり、これからのメンテナンスはかなり経済的に厳しくなるだろうが、まだまだ十分走ることができるので新車購入なぞ先の話だ。こうなったら、俺と FZR400RRSP のどちらの体力が先にダメになるかの勝負みたいなものかもしれない。

これからも FZR400RRSP と共に走り続けることができるよう、願ってやまない。

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2010年6月13日 (日)

白河の関へ

梅雨入前の最後の日曜日、しかも幸い夕方までは雨は降らないというホント最後のチャンスなので、最近サボっていたツーリングを決行。

白河の関は、言わずと知れた鼠ヶ関、勿来関とともに奥州三関の1つ。何回か訪れているので、何も考えずに東北道をひた走り白河ICから一般道へ。
白河市内を抜け、南湖を経由し栃木県道・福島県道76号伊王野白河線(全線が旧東山道でもある)を南下すれば白河の関に着く、はずだった。

JR白河駅前もシャッター通りになりつつあるな、と様子を見ながら走っていると標識を見落とし早速迷子。多少徘徊して南湖に着いたものの、今度は標識に惑わされて栃木県道・福島県道76号伊王野白河線とは全く異なる道に入り込み、新白河駅まで戻る羽目になる。結局、白河ICまで戻り、単車に給油して気を取り直して再度白河の関を目指すも、またしても標識に惑わされて未舗装の山道に入り込み、右往左往してやっと白河の関に到着。この時点で14時。結果的にはほぼ予定通りなので良いとしよう。

人が生活している以上、当然変化はあるのだろうが、白河の関界隈は何回来ても変わらずのどかな風景を保っている。以前は東京の市街地からちょっと出かければ至る所にこうした風景があったように思うのだが、今は単なる記憶になってしまっている。複雑な気分だ。

で、後は黒羽・大田原経由で帰るのみ。大田原までは交通量も少なく快走することができたが、矢板まで行こうと思いそのまま一般道を走るとどんどん交通量が増えてくる。わかっていたならさっさと東北道に入ってしまったほうが良かったわい。

帰りの東北道は若干流れが悪い個所があったが、渋滞でもなく良かったのだが、それにしても高速の走行は単調でつまらん。

本日の走行距離 迷いに迷い467.1km

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2010年5月22日 (土)

坤六峠

良い天気だ。
さて、どこに行こうか、と昨晩から思案していたが、やはりこの時期は新緑の金精峠だよな。

てなわけで関越に入り沼田ICで降りるもここら辺から例によって考えが変わる。
金精峠を越えても中禅寺湖の界隈でプチ渋滞に巻き込まれる可能性が大。これが嫌だ。同じ新緑を堪能するなら坤六峠の方が交通量も圧倒的に少ないし、峠の水上側は多数の滝があり景観が素晴らしい。
ということで、計画変更。坤六峠に向かう。

予想通り、鳩待峠までの笠科川沿いは新緑が美しく、単車で踏み込むことさえ躊躇させるような柔らかな緑が光の中を揺らいでいる。
鳩待峠との分岐点を過ぎていよいよ坤六峠への峠道になるが、ここはここで残雪が多く残り、初夏の日差しの中に奇妙な世界を描いている。

心洗われる景色の連続なのだが、景色に見とれ気が緩んだかシフトミスを繰り返し何回エンストしたことか。素人ですか、私は。

水上を経て帰路に就くが、ここで高所ドアを発見。このルートにはもうないと思っていた。こうした時に限ってカメラがなくあるのは携帯だけ。
更に関越に入ろうとして沼田の市街地に入ったらここでも原爆タイプが新たに(?)発生している。沼田は意外とトマソンが多い。古い町並みが失われ新たな建物が生まれ、街が新陳代謝している証拠なのだが・・・・・

帰路も往路同様渋滞がなく、快走することができた。
途中路肩で車が横転していた以外は。

本日の走行距離 393.9km

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2010年5月15日 (土)

諏訪再訪

今日は諏訪を目指す。
諏訪は2009年4月12日に桜城を訪れて以来、途中通過はあるもののほぼ1年ぶりとなる。

実は山吹城を攻略する予定だったのだが、地形図を見る限り車が通行可能と思われる道路が直下を通っているのでなめきっていたのが運のつき。現地に行くと途中から林道になり、一般車進入禁止ときた。
なめきっていたので地図なんか持ってきていない。この先どこまで歩けばいいのかも見当がつかないので断念して撤退。

そうは言っても折角諏訪まで来たのだから、下諏訪に来たら必ず立ち寄る[立喰そばしぶや]に行き、天ぷらそばを食してからすぐ近くの諏訪大社下社秋宮へ。

その後は小渕沢まで国道20号線をトコトコと延々とトイレを眺めがら走り(前を走っていたトラックが剥き出しの簡易トイレを運搬)、小渕沢ICから中央道に入り帰宅となる。往きは相模湖まで渋滞に悩まされたが、帰りは時間が早かったせいか渋滞もなく快走できた。

カメラを運び天ぷらそばを食べトイレを眺め続けただけの1日だったような・・・・・

本日の走行距離 404.1km

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2010年5月10日 (月)

保谷市凹型(2)

何やら雨がぱらついてきたので引き返した矢先に発見したブツ。
電柱の痕跡。

No.527(保谷市NO.35) 保谷市凹型(2)
場所 東京都 保谷市 本町6丁目24
日時 ‎2010‎年‎5‎月‎10‎日 ‏‎15:08:08
10051002

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保谷市ヒサシ(9)

気分転換に近所を散歩していたらブツ発見。

元々うちの界隈にトマソンが多いのか、日常的に徘徊しているから目に付くのか、何れにせよ、うちの界隈だけでかなりの数のブツを採集している。

No.526(保谷市NO.34) 保谷市ヒサシ(9)
場所 東京都 保谷市 本町6丁目18
日時 ‎2010‎年‎5‎月‎10‎日 ‏‎14:56:58
10051001

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2010年5月 9日 (日)

保谷市高所ドア(10)

今日は仕事なんかしたくなかった。が、せざるを得なかった。しかも15時過ぎという中途半端な時間に終わった。
仕方ない、また散歩でもしよう。
気分も中途半端なのでいつになくだらだらと歩いて、あぁ、ここにもあったね、ってことで採集したブツがこれ。

屋根に遮られて高所ドアであると厳密には確認できていないが、状況からたぶん高所ドアで間違いなかろう。

No.525(保谷市NO.33) 保谷市高所ドア(10)
場所 東京都 保谷市 東町3丁目11
日時 ‎2010‎年‎5‎月‎9‎日 ‏‎17:06:58
10050901

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2010年5月 8日 (土)

港区原爆タイプ(13)

最後に、以前諏訪市で見つけたタイプと同じ原爆タイプを採集。
かなりな規模の火災があったようだ。延焼しなかったから良かったものの、かなり冷や汗かいただろうな、きっと。

No.524(港区NO.48) 港区原爆タイプ(13)
場所 東京都 港区 西新橋1丁目21
日時 2010‎年‎5‎月‎8‎日 ‏‎13:28:24
10050804

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港区高所ドア(15)

次も高所ドアとなるはずだが、なかなか見つからない。記憶が定かではなくなったようだ。
どこだどこだと探しつつ、新橋方面に暫く歩いたところでやっと発見。

No.523(港区NO.47) 港区高所ドア(15)
場所 東京都 港区 新橋4丁目7
日時 ‎2010‎年‎5‎月‎8‎日 ‏‎13:15:30
10050803

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港区高所ドア(14)

原爆タイプの反対側には高所ドアがある。

No.522(港区NO.46) 港区高所ドア(14)
場所 東京都 港区 虎ノ門1丁目9
日時 ‎2010‎年‎5‎月‎8‎日 ‏‎12:48:30
10050802

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港区原爆タイプ(12)

仕事の打ち合わせで新橋界隈に出向くことが多く、虎ノ門から新橋にかけていくつかのブツを見つけることができた。いい加減採集しておかないといつ消滅するかわからないので、天気も良いことだし採集しに出かけよう。

まずは原爆タイプから採集。

No.521(港区NO.45) 港区原爆タイプ(12)
場所 東京都 港区 虎ノ門1丁目9
日時 2010‎年‎5‎月‎8‎日 ‏‎12:45:38
10050801

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